第179回「日本劣等改造論(11)」

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

 ― 依存のすすめ(前編)―

「依存症」という病気がある。アルコールに薬物にギャンブルに。精神、身体、生活をボロボロにし、時には犯罪に手を染め人生を崩壊させていく。やめたくても止められない、その原因は意志の弱さではない。依存症はれっきとした「やまい(病)」である。

自分で自分が操縦できない。コントロール不能となった飛行機のパイロットのよう。その不安の飛行機から脱出したいので、依存対象に心と体を没入させる。そうやって瞬間的にでも脱出するのだ。しかし、その後が大変。もっと操縦不能な状態となって不安がさらに膨らんで脱出を図り・・抜け出られない無限増幅ループ。「やまい(病)」といわれる所以がわかっただろう。

人はなぜ依存症になるのか。虫、魚、鳥、犬・・他の動物は身を滅ぼすような依存症にはならない。それは「依存」が人間ほど必要ないからである。人間はお互いに依存し合いながら生き延び、文明を築き上げてきた。依存に基づいた種であるといえるだろう。

生誕に時を戻そう。大脳があまりにも大きすぎるため、超未熟児のまま外界に引っ張り出される。3歳ぐらいまでは食べるのも寝るのも用を足すのも、誰かが親身に世話をしないと生きていけない。心身ともに自立させるには10年以上の時間がかかる。そんな長期間に渡って手のかかる動物は他にいない。

こうして依存が生命活動の土台にあるので、依存が日常の中になくなると、刹那的な快楽に溺れやすくなる。なぜなら、人は生きるために依存が必要であるが、同時にそれが快楽でもあるからだ。「人に甘えるのは気持ちいい」といえばわかるだろう。ちなみに、スマホは音楽にエンターテイメントにゲームに快楽を提供してくれるので、スマホは依存症の対象となる。スマホを3日間全く触らない状態をあなたは我慢できるだろうか?

依存症になってしまう人は、「依存してはいけない」「人に迷惑をかけてはいけない」「早く自立しなければならない」という呪術にかかっていることが多い。この呪いはやっかいで、人に迷惑をかけることを恐れ、自力でがんばるのだが、自力はたかがしれているのでたいした成果が出ず、「自分はダメだ・・どうせ・・・」と劣等感が募る。たまに自力と運で成果がでる人がいるので「ほら、あの人は頑張って結果だしてるじゃないか」と比較され、さらに劣等感が強化される。

こうして日常から依存が消え、氣づいたら孤独感と不安と劣等感にまみれた状態に。快楽に溺れて依存症になる準備はこれでバッチリ。呪術のチカラは本当にすごい。特に男性はこの呪術がかけられていることが多く、依存症の7割近くが男性というのも納得である。

日本は何万年もかけて「甘えの構造」を社会の中に作ってきた。詳細は精神科医・土居健郎著の「甘えの構造」に甘えることにして、日本は母性中心の社会だった。公家の男子の名前に麿(麻呂)とつけたが、麿と聞くと眉毛が薄く色白な女性的イメージが湧くだろう。しかし、明治時代になって西洋の父性社会を短期間に導入するため、日本の象徴であった天皇を凛々しい眉毛に立派なヒゲをたくわえ、騎馬に乗って戦っているナポレオンのような「強い男」イメージに変えてしまった。

これは、無理があるのがわかるだろう。その無理がたたって、日本人は戦争依存症になった。戦争に熱狂し、やめたくても止められない戦争になっていく。「依存してはいけない」「人に迷惑をかけてはいけない」「早く自立しなければならない」という父性呪術に日本全体がかかったのだ。

この呪術を後編では解いていこう。

 

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著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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