私たちが暮らす地球は、
太陽の巨大な重力に引っ張られ続けている。
そして同時に、自らの遠心力によって、
その重力に反抗し続けている。
もしも、あと少し、太陽の重力が強ければ、
地球は太陽に吸収されてしまう。
もしも、あと少し、遠心力が強ければ、
地球は太陽系から飛び出してしまう。
つまり、重力と遠心力の絶妙なバランスによって、
地球という惑星は存在しているのである。
引きつけ合う力と、離れようとする力。
考えてみれば、宇宙そのものが、
この二つのバランスによって成り立っているのかもしれない。
天体同士の引きつけ合う力が強すぎると、
やがて宇宙は一点に集約されて無くなってしまうだろう。
反対に、離れようとする力が強すぎると、
宇宙は拡散し続けて無くなってしまうだろう。
宇宙とは、天体同士のバランスが生み出している空間。
いや、バランスこそが、宇宙を成り立たせるルールなのだ。
宇宙の一部である地球においても、
バランスのルールは適用される。
たとえば動物同士は絶妙な距離感で生きている。
補職する側は相手に近づこうとするし、
補職される側は遠ざかろうとする。
その距離が近すぎると、
補職され尽くして絶滅してしまう。
その距離が遠すぎると、
補職する相手がいなくなって絶滅してしまう。
距離感のバランスを失った種は絶滅する。
そして新たに、絶妙な距離感を持った種が、誕生して来るのだ。
滅亡と誕生とを繰り返すことによって、
生物同士は絶妙な距離感を作り上げてきたのだろう。
人間も地球上の生物である以上、
このルールによって生かされている。
過去、乱獲によっていくつもの種を破滅させ、
生態系を破壊してきた人類は、
明らかにこのルールに違反して来た。
その罪悪感に耐えきれなくなったからこそ、
私たちは絶滅危惧種を救い、
環境と生態系を守ろうとするのではないだろうか。
人間と他の生物との関係は、この先改善されていくだろう。
むしろ心配なのは、人間同士の関係である。
人間は生きるために群れを作り、
それを高度な社会へと発展させてきた。
もはやどんな強い個体であっても、
単体で生きていける人間はいない。
それ故に、社会との関わり方、
社会との距離の保ち方が、
分からなくなっているような気がする。
確かに私たちにとって、社会は必要不可欠な存在である。
だがそれは、私たちにとっての全てではない。
ある部分で社会と繋がり、ある部分では社会と離れる。
そのバランスが重要なのだ。
社会の一員としての自分は、
社会に認められ、社会の役に立つ必要がある。
一方、社会から離れた自分は、
社会に認められる必要はないし、社会の役に立つ必要もない。
歌が好きなら唄えばいいし、絵が好きなら描けばいい。
それが社会に認められなくても、
それが社会の役に立たなくても、自分が楽しければそれでいい。
なぜならば、楽しむことが自分の役割だからである。
社会での役割と、自分の人生での役割。
社会での評価と、自分自身の評価。
そのバランスを見失ってはならない。
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