日本は、国民一人当たりの生産性が、
先進国で最下位の国である。
今もその順位は下がり続けている。
かつて世界一位の座を米国と競い合った日本は、
どこへ行ってしまったのか。
一体この原因はどこにあるのか。
そして、どうやれば、
再び生産性を向上させることが出来るのだろうか。
そのヒントは、日本人の国民性の中にある。
言うまでもなく、日本人の最大の売りは、その勤勉さにある。
資源を持たない日本は、誰よりも懸命に働くことによって、
世界第二位の経済大国にまでのし上がったのである。
では日本人はその勤勉さを失くしてしまったのだろうか。
確かに、戦後の日本人は凄まじいまでに働いた。
現代人が当時と同じくらい勤勉だとは言えないかもしれない。
だがそれでも、他国と比べればまだまだ日本人は勤勉である。
一人ひとりの能力も、仕事に対する責任感も、
決して他国の国民に劣るものではない。
では、なぜこれほどまでに、
我が国の生産性は下落してしまったのだろうか。
その最大の要因は、環境の変化にある。
真面目に、言われた通りに、仕事をこなすことの価値が、
下落してしまったのである。
言うまでもなく、
その要因は新興国の台頭と、情報化社会の到来にある。
どんなに効率よく働いたところで、
コストでは新興国には勝てない。
技術はあっという間に真似され、
消費者は必要以上のスペックにはお金を払わない。
真面目な日本人を労働者として雇い、
彼らの時間をお金に変えるというビジネスモデルの終焉。
それが今この国で起きていることの真相なのである。
真面目に、サボらず、働くだけでは、
永遠にこの国の生産性は回復しない。
いや、その真面目さこそが、
生産性にブレーキをかけている原因なのである。
不毛な勤勉さに終止符を打つこと。
それこそが、劇的生産性向上の鍵なのである。
好きではないこと、得意ではないことでも、
仕事だからと我慢してしまう。
それがこの国の歪な勤勉思想なのである。
勤勉であるが故に、与えられた仕事に全力を尽くす。
サボる人、辞める人は、ダメな人。
その強烈な洗脳によって、
日本人の多くは不向きな仕事を我慢してやり続けている。
勤勉という名の下に。
当たり前の話なのだが、人間は一人ひとり違う。
やりたい事も、得意なことも、違って当然なのである。
やりたい事をやらせれば、人は放っておいても努力する。
得意なことをやらせれば、あっという間にスキルも向上する。
好きなことや得意なことを仕事にする。
その方が生産性は上がり、収入も増えるに決まっている。
この当たり前のことに、リスクや、非常識さや、
罪悪感を抱いてしまうのが、日本人なのである。
すべての人と、すべての仕事を、シャッフルし直す。
好きなことや、得意なことによって、
それぞれの仕事を振り分け直す。
もしもそれが出来たら、
この国の生産性は劇的に向上するだろう。
だがそのシャッフルを起こすのは、国家ではなく、
会社でもなく、私たち一人ひとりの意志なのである。
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