不要不急の境目

新型コロナの影響で
不要不急の外出が抑制されるようになった。
出来るだけ外には出ない。
出来るだけ人には合わない。
出来るだけ一箇所に集まらない。

そのターゲットとされたのは、
映画や遊園地などの娯楽施設、
スポーツや音楽のイベント、
人が集まって遊ぶカラオケや外食、
旅行、観光、ショッピングなどである。

つまりは遊びの部分を自粛せよということ。
遊びと、コロナ対策と、一体どちらを優先するのだ。
そう詰め寄られたら遊びを続けるわけにはいかない。
遊び=なくてもいいもの、なくても困らないもの、
すなわち不要不急のものという常識なのだ。

遊びはダメ。
仕事なら仕方ない。
人は働かないと生きていけないのだから。
だがこの常識には大きな矛盾が含まれている。
遊びを仕事にしている人はどうなるのだ、
という矛盾である。

そもそもどこからが遊びなのだ。
映画やコンサート行くのは遊びなのか。
ではスポーツはどうだ。
食事や旅行はどうなのだ。仕事か遊びか。
それは仕事というものの定義によって変わる。

もしも仕事が「報酬を獲得するための行為」であれば、
ミュージシャンもスポーツ選手も料理人も旅行業者も、
みんな仕事をしていることになる。
そもそも1円にもならない遊びなどあるのだろうか。

キャンプに行くとしてもキャンプ用品は必要である。
移動するための手段もいるし、
靴や衣類だって必要である。
では反対に、絶対に仕事であると宣言できる
仕事とは、どんなものなのだろうか。
不要不急でも決して止めてはいけない仕事とは。

きちんと会社に出社して、
自分のデスク前に座って、
会社から指示された業務を粛々と行うこと。
そこには楽しさのカケラもない。
まさに仕事のための仕事。
これこそが不要不急の仕事と言えるのだろうか。

ではその仕事によって
1円の利益も生み出さない場合はどうなのだ。
リモートにしてみたら、
出社する必要はまったくなかった。
マネジメントする人が不要になった。
電話対応をアウトソーシングしてみたら
前より良くなった。

こうなってくると、いったい何が
不要不急の仕事なのかが分からなくなる。
いや、そもそも仕事とはそういうものなのだ。
不要不急であるにも関わらず、行きたい、食べたい、
会いたい、体験したい、というモノやコト。
それこそが付加価値なのである。

生産性を高めろと言いつつ不要不急を叫ぶ。
言ってる本人は、
その矛盾にまったく気が付いていないのである。

 


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