医者や弁護士ですら、食えない人がいる時代。
資格に頼ることは、賢明な生き方とは言えないだろう。
無いよりは、あったほうがいい。
そう考える人たちが、安心を求めて、資格を取ろうとする。
だがそれは本当に、安心をもたらしてくれるのだろうか。
もはや多くの資格は、それを取得した人が食う手段ではなく、
資格を与える側が食うための手段になっている。
では、資格が通用しない時代に、私たちが持つべきものは何か。
それは、コンテンツである。
コンテンツとは、メディアに人を集める「ネタ」のようなもの。
たとえば、新聞における、四コマ漫画。
たとえば、経済誌における、人気のコラム。
たとえば、webにおける、人気のブログやメルマガ。
そこには、ある一定数のフォロワーがいて、
人が集まる集客装置となっている。
優良なコンテンツを提供することが出来れば、
メディアから安定した報酬が流れて来るのである。
では、優良なコンテンツは、どうやって作ればいいのか。
プロのアーティストであれば、
楽曲や、写真や、作品だけで、優良なコンテンツになる。
だがそんなコンテンツが作れるのは、
限られた一握りの人たちだけである。
では、飛び抜けた才能があるわけではない、
一般の人たちはどうすればいいのか。
アーティストでない人たちは、職人になればいいのである。
まず、とことんニッチな領域に、自分の居場所を決める。
それは、自分が好きな領域や、
興味のある領域でなくてはならない。
なぜなら、好きでなければ、続けられないからである。
好きなことや、興味のあることを、とことん深堀していく。
情報を集め、体験を重ね、自ら考える。
そこで得た気づきが、コンテンツのコアとなっていく。
そのコアに磨きをかけ、表現方法を工夫し、
コンテンツとしての価値を高めていく。
そこに必要なのは、才能ではなく、努力だ。
今、web上には、たくさんの無料ツールが並んでいる。
文章を書いて発表することも、写真や動画を投稿することも、
誰でも簡単に出来てしまう。
実際に多くの人達が、毎日様々な情報を発信している。
だが、そのほとんどは、コンテンツとしての価値を持たない。
つまり、人を集める力がない。
なぜなら、ただ単に情報を、
垂れ流してしまっているからである。
発信することは簡単だ。
だがそこに質が伴っていなければ、人は集まって来ない。
質とはすなわち、コンテンツの深さと、面白さである。
そして、コンテンツの深さと面白さは、
才能ではなく努力に比例するのである。
もし自分が凡人だと思うのであれば、
人一倍考え、工夫しなくてはならない。
面白いネタとは、どのようなものなのか。
読みやすい文章とは、どのような文章なのか。
人を惹きつける写真は、どうやって撮ればいいのか。
圧倒的に多くの人が、質を高めるための努力をしない。
それは、努力に見合う成果が、イメージ出来ないからである。
確かに、コンテンツは一日にしてならない。
だが、これほど堅実なレンガの家は、他には無いのである。
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