始まりがあれば、終わりがある。
これは世の理であり、避けようのない現実でもある。
死なない命はないし、老いない若さもないし、
壊れない家電製品もない。
どんなに頑丈でも、どんなに丁寧に扱っても、
形あるものはいつか壊れるのである。
もちろん、だからと言って雑に扱っていいものなどない。
若さも、命も、家電製品も、派遣社員も、
壊れないように丁寧に扱わねばならない。
終わりがくるからこそ、その命を丁寧に扱う。
それが人としての、
終わりを知るものとしてのマナーである。
だがそれは、執着であってはならない。
若さや、命や、社員や、会社に、
決して永遠を求めてはならないのである。
終わりを受け入れる勇気。
そこから目を背けている限り、人は判断を誤ってしまう。
出来れば避けて通りたい。
出来るだけ先送りにしたい。
そういうものは確かにある。
死や老いはその典型ではなかろうか。
いつか死ぬことは分かっている。
老化していくことも分かっている。
受け入れざるを得ないことではあるが、
出来るだけ先延ばしにしたい。
現実から目を背けていたい。
それはそれで構わないのだ。
人はそんなに強くはないし、
哲学者のように割り切れる人ばかりではない。
その時がくれば、
嫌々ながらも受け入れればいいのである。
問題なのは永遠の命、
永遠の若さを求めようとする人たちだ。
世の理を受け入れられない彼らは、
周りを不幸のどん底に陥れる。
いつか終わるという覚悟。
それを心の何処かに持っていることで、
人は正常を保てるのである。
始まりがあれば、必ず終わりがある。
この決まりに例外はない。
地球も終わるし、宇宙だって終わるだろう。
国家も、通貨も、宗教も、必ず終わる時が来るのである。
では経営者である私たちにとって、
受け入れねばならない終わりとは何か。
それは事業の終わり、社長業の終わり、
そして会社の終わりである。
いつか事業は終わる。
いつか社長業も終わる。
ここを受け入れられない経営者は事業やポストに執着し、
会社を泥沼に引き摺り込んでしまう。
引き際は大事なのである。
そして会社もまた永遠ではない。
その現実を受け入れるべきだ。
人は死ぬが会社は死なない。
そう信じている経営者は多い。
だがそれは間違いである。
潰さないための努力を否定しているわけではない。
潰さないことが目的になってしまった時、
会社はその存在意義(命)を失うのである。
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