お金との別れ

お金がある状態と、お金がない状態。
どちらがいいかと聞かれて、
お金がない状態を選ぶ人はいないだろう。
今すぐ欲しいものがなくても、
全く使い道が思い浮かばなくても、
ないよりはあった方がいい。
それがお金というものである。

ほぼあらゆる場面で、
ほぼあらゆるモノと交換できる、
オールマイティーなカード。
お金は確かに便利だ。
いや単に便利なだけでなく、
信用と、安心と、安泰をもたらしてくれる。
人がお金に固執するのも致し方のないことである。

だが、そろそろ私たちは、
その関係を見直さなくてはならない。
現代社会において、とくにこの日本において、
お金洗脳は完全に行き過ぎてしまった。
私たちはお金を使っているのではなく、
完全にお金に使われてしまっている。

誤解のないように言っておきたいが、
私はお金やお金持ちを糾弾したいわけではない。
確かにお金を持ちすぎて不幸になった人はたくさんいる。
お金が原因で人間関係が壊れたり、
人生が狂ってしまうことはよくあることだ。
だがそれはお金が悪いのではないし、
お金を持ちすぎている人が悪いのでもない。

問題なのはお金との関係。
それこそが全ての元凶なのである。
コンビニで店員に土下座をさせるのも、
会社で従業員を怒鳴りつけるのも、
下請け企業をぞんざいに扱うのも、
お金への歪んだ思想が原因なのである。

お金も、お金持ちも、
客も、経営者も、
何ひとつ偉くなどない。
金を持っている側、
金を払う側が偉い、などというのは、
刷り込まれた先入観にすぎないのである。

日本ではお金を受け取った店員が
「ありがとうございました」と礼を言う。
アメリカでは金を払った顧客が
「サンキュー」と礼を言う。
文化の違いといえばそれまで。
だがそこにはもっと根深い問題がある。

お客様は神様である。
社員を雇ってやっている。
仕事を発注してやっている。
その発想の根幹には「金を出す側が偉い」という
歪んだ思想がある。

現金がクレジットカードになり、
電子マネーになり、どんどん軽い存在になって行く。
これは時代の流れであり、
お金との関係を変えるチャンスでもある。
いずれ、支払いという作業そのものが、
なくなって行くだろう。

給料日などという大げさなものは、
単なるチャージへと変わる。
あらゆる支払いは自動改札のようになる。
雇用、労働、顧客、店員、
元々すべての関係は等価交換なのである。
払う側の権力は終わりを迎える。

 


尚、メールマガジンでは、コラムと同じテーマで、
より安田の人柄がにじみ出たエッセイ「ところで話は変わりますが…」や、
ミニコラム「本日の境目」を配信しています。
毎週水曜日配信の安田佳生メールマガジンは、以下よりご登録ください。

メールマガジン読者登録

感想・著者への質問はこちらから

CAPTCHA