Facebookが「Meta(メタ)」へと社名変更した。
それは「高次の」「超越した」という意味であるらしい。
何となくニュアンスは分かるが、意味を聞いても
よく分からない。それがメタという言葉である。
メタはアリストテレスの著書に由来している
言葉で「ある学問や視点の外側に立って見る」
という意味らしい。2400年も前にこんな概念を
考えていたとは驚きである。
鯨が哺乳類であることを発見したのも
アリストテレスだと言われている。
その好奇心と知識の幅はまさに知の巨人である。
私がメタと聞いて最初に思い浮かぶのは
メタモルフォーゼ(昆虫の変態)だ。
最も進化した昆虫は蛹(さなぎ)を経て完全変態を行う。
なんと蛹の中でドロドロの液体になって
成虫に変化するのである。
Facebookが目指しているのはメタバースの支配。
それはコンピュータネットワークの中に構築された
3次元の仮想空間だ。近い将来、人はこの仮想空間に
現実を置き換えていくことになる。
だがそれは本来のメタとは少し異なるものだと感じる。
メタとは「自分を外側から見る」という考えだが、
メタバースはむしろ仮想空間に「入っていく」行為だ。
鳥瞰、俯瞰、経営者視点など、
ビジネスで用いられる「メタ認知」は前者に近い。
その目的はまさに思考や視点の次元アップだ。
社会における人間とは肉体に他ならない。
そして感情は常に肉体と一体化している。
つまり人は物理的にも精神的にも
「私」という入れ物の中に閉じ込められているのである。
メタ認知はそこから脱出する手段なのだ。
経営者視点で見ることがなぜ社員には困難なのか。
それは感情的に「私」を捨てる行為だからである。
肉体を捨てることは物理的には不可能だが
精神的には可能である。
すなわち私の肉体を他人として扱うのだ。
身体の中にあるはずの感情を外側に出してしまう。
するとそれに伴って思考も肉体から離れる。
なぜこんな面倒なことをするのか。
それはメタ認知が最も効率よく、そして
楽に仕事ができる方法だからである。
立場は人をつくるというが、
それは立場が変わったことで
感情と思考の立ち位置が変わるからである。
メタ認知はこれを逆手に取る発想なのだ。
まず感情と思考の次元を上げる。
すると肉体が遅れてそれについてくる。
つまり現実の「私」がスキルアップし、
金持ちになり、仕事が楽しくなる。
いかに人ごととして自分を眺められるか。
メタ認知の鍵はそこにある。
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