正常と異常を疑う

地球環境の異常は人間にとっての異常であって、地球にとっての異常ではない。過去46億年の中で地球は寒冷化と温暖化をずっと繰り返してきた。全球凍結時代もあるし、縄文時代の気温は今より2℃も高かった。1億年前に至っては10℃以上も気温が高く、二酸化炭素濃度もはるかに高かったのである。

正常か異常か。この判断をするとき間違ってはいけないのが「誰にとっての異常なのか」という定義である。ここを間違えると本末転倒な対応にしがみつくことになる。例えば黒字で行うリストラは正常なのか異常なのか。ホワイトカラー管理職より現場ブルーカラーの報酬が高いことは正常なのか異常なのか。

生活に不可欠だと言われるエッセンシャルワークの報酬は決して高くない。無くても困らない娯楽ビジネスに関わる人が稼いでいたりする。これは正常なのか異常なのか。その判断は時代によっても変わるし、立場によっても変わる。いずれにしてもそれは「誰かにとっての異常」であって、社会の異常ではない。

自分にとって不都合な現象が起きると、人はそれを社会全体の異常であると思い込んでしまう。この異常事態を何とかしなければと社会を正そうとする。だがそれは大きな間違いだ。社会で起こる異常は自分にとっての異常であって、社会にとっての異常ではない。よくある変化のひとつに過ぎないのである。

同じ状態がずっと続くこと。それを前提に生きようとすること。その判断が異常なのだと気づいたほうがいい。すべての物事は変化し続ける。それが正常な状態である。適者生存のルールに従って地球生物は変化し続けてきた。人間社会においてもこのルールは変わらない。残るのは変化し続けるものだけだ。

そもそも正常とはどのような状態なのか。「正に常識的」と書いて正常。正常とはその時代、地域、シーンにおける多数決でしかない。異常なものが嫌われるのは数が少ないからだ。だが少ないものが不適正とは限らないし、多いものが適性とも限らない。それは過去の地球や人間社会を見れば明らかである。

確かに社会生活においては多数の常識に従うことも必要だ。だが人生やビジネスの重要なシーンでは決して常識に流されてはいけない。それは誰にとっての正常なのか。ひとつ上のレイヤーから見たときに異常なのはどちらなのか。正常と異常は簡単に入れ替わるという事実を決して忘れてはならない。

 

 

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