人はなぜお墓を買うのか

永代供養墓を買う人が増えているという。
子供に負担をかけたくない。
あるいは子供がなく供養してくれる人がいない。
そのような人たちに向けた新たな埋葬ビジネスである。

身寄りのない人や、墓参りにいけない子孫に代わり、
寺院や霊園が手厚く供養いたします、というサービス。
宗派も問わず、無宗教でも問題なし。
歴代の住職が毎日手厚く供養してくれるらしい。

ここまで来ると供養というもの自体の
意味を考えてしまう。
宗派も無宗教も関係なく、
会ったこともない住職に墓を拝み続けてもらう。
しかも多くの場合は合同供養。
いったいその目的は何なのだろう。

そんなものは供養ではない、
などと無粋なことを言いたいのではない。
住職にとって大切な仕事であることは理解できる。
私が知りたいのは永代供養を頼む人たちの心理である。

子供らが親の永代供養を頼む場合はイメージしやすい。
彼らが買っているのは後ろめたさからの解放である。
たとえば高齢者の場合は親の墓参りに行く体力がない。
若くても田舎が遠ければそう簡単に墓参りには行けない。
時間もないし交通費もかかる。

とは言え、行かないことには
後ろめたさがつきまとう。
その呪縛からの解放。
プロに拝んでもらうことで
「安らかに眠ってくれるだろう」という安心感。

では本人が買う場合はどうか。
ひとつには子供の負担をなくす目的だろう。
私の墓参りはプロに頼んだから心配無用。
あなたたちは自分の人生を
エンジョイしなさい、という親心。

では子供がいない場合はどうなのだろうか。
死んだ後にもずっと誰かに供養される。
そういう安心感を買っているのだろうか。

これらはすべて
「墓を買い、墓を拝むことは正しい」
という前提によって成り立っている。
その前提を守った上で、
子供に負担をかけない、後ろめたさを抱かない、
拝んでくれる人を絶やさない、という安心。
そのための永代供養墓の購入。

すなわち買っているのは不安の解消である。
永代供養を不安解消ビジネスなどと言うと
怒り出す人もいるかもしれない。
だがその根本は、
生命保険やアパート経営と同じである。

「もし自分が死んだら」という不安を解消する。
「もし年金では足りなくなったら」という不安を
解消する。それと同じ。

「もし子供が墓参りで苦労したら」
「もし誰も墓参りしてくれなかったら」
という不安の解消。だが、そもそも、
その不安を解消する必要があるのかどうか。
そこが大きな謎である。

 


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どうすれば企業は生き残っていけるのでしょうか。私は今後、中小企業の経営は二極化していくと予想しています。それは「人を雇い続ける経営」「人を雇わない経営」です。

*私自身の経験を元に相談に乗ります。
*相談は無料(もしくは食事代)です。

1件のコメントがあります

  1.  墓と墓参の今日のコラムと先週のコラムを読み白いと感じました。
     そこで、昨日、先週のコラムを印刷・配布し毎年お盆に家族帰省(数十万の費用、スケジュールを皆実施して)しお墓参りをしていますが、その是非を家族で議論しようと提案しました。
     今週のコラムも追加配布し、議論~家族コミュニケーションをしようかと思っています。どうなるか楽しみです。

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