コミュ障経営者のギモン その1「一個残したの誰?」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

一個残したのは誰?

スタッフが旅行に行ったりすると、お土産を買ってきてくれるんです。
「皆で食べてください♪」とか言ってくれてね。
なので、弊社オフィスにはお土産物置き場みたいなのがあるんです。

そのお土産物置き場で起こった出来事なんですけど・・・

スタッフの一人がブツブツ言ってたんです。
「誰だ、また一個残ししてッ!」って。
誰かと食事に行ったとき、お皿に一つだけ残っていて、いっこうに誰も食べようとしない。
おなじみ「一個残し」現象が起こってるってことなんですけどね。

「誰が一個残しの犯人か?」
僕はこんなどうでもいいことにギモンを持ったんですよね。
だから、もちろん、仕事の手も止めちゃいましたよ。

で、仕事もせずに考えました。
一個残しの犯人を。

2個以上残っていた状態で、1個を残して食べた人間。

・・・が犯人?

そう思います?

確かに、その瞬間を見たら、犯人はその人物ですよね。現行犯なら。

でも、もうちょっと考えてみると、実は、一個残してる状況を創ってるのは、スタッフ皆なんですよね。
ブツブツ言ってた彼も含めてね。
(まぁ、彼は最後の一個をほうばり、その状況に終止符を打った人物なんですけど)

だって、一個残しの状態を創ってる、と言うか、維持しているのって皆でしょ?
そう、犯人は僕やブツブツ言ってた彼を含めた皆だったんですよ!

これ以外にも、自分も犯人というか関係者の一人だったりするケースってありますよね。
例えば「政治が悪い」って言ったって、結局選挙権を持っている僕らも当事者であったりするわけですしね。

そういうことに気付いたとき、もう一つ大切なことに気付いたんです!

仕事の手を止めてまで考えることじゃないんじゃないか!?って…

ところで…

お土産って大体お菓子かなんかですよね?
きっと、何人かでシェアするときに便利なんでしょうね。
ところが、うちの日本法人の社長がアメリカ出張して買ってきたお土産が瓶詰めのスパイスだったんですよ。チョイスがクレイジーですよね!?
しかも一つ一つ味が違うんですw
で、「皆の分を買ってきたからねー♪」って優しく微笑んだんです。
ところが、実は一人分足りなくて、スタッフがあみだくじとかでどのスパイスをもらうか決めてたんですけど、なぜかごく自然に僕の分を無しにされたんですよ。
いや、ちょっと泣きましたよ。

なお、日本法人の社長は誰の存在を忘れていたかは未だに謎・・・

 

著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。
経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファンションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。
アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)
パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。
しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)
そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。
2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。
ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。
残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。
この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。
設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。
社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。
そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。
そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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