シェクスピアを読まない人生ほど
もったいないものはない。
誰が言ったか知らないが
このセリフは私の記憶に強烈に残っている。
ゆえに私はシェイクスピアを読んだ。
確か30代後半だったと思う。
シェイクスピアだけではない。
ドストエフスキーも読んだ。
死ぬ前にこれだけは読まなくてはと決めていた
“カラマーゾフの兄弟”である。
確かにどちらも素晴らしい文学だった。
だが人生で必ず読むべきと言えるほどの
“何か”を感じ取ることはできなかった。
センスのなさと言ってしまえばそれまでである。
スペインで見た“ピカソのゲルニカ”も迫力はあったが、
それは私に前知識があったからかもしれない。
せっかく生まれてきたのに〇〇しないのはもったいない。
このセリフに私はとても弱いのだ。
たった一度の人生。
これだけはやったほうがいい。
これだけは見たほうがいい。
そう言われるものが世の中には溢れている。
だがそのすべてを経験することは不可能だ。
たとえば私は富士山に登ったことがない。
登った人に言わせれば“もったいない”
ということになるだろう。
酒を飲まない人、美味い食べものに興味がない人を、
“もったいない”と私が思っているように。
たとえば私はバツイチで会社を潰している。
他の人から見たら要らぬ経験ということになるだろう。
だが私自身はその経験を記憶から消したいとは思わない。
もしも人生をやり直せたとしても
私は同じことをするだろう。
だがシェイクスピアをもう一度読むとは思えない。
それが“もったいない人生”だとは思えないからだ。
海外に行ったことがない。
異性と付き合ったことがない。
会社を経営したことがない。
これらは非常にもったいない人生だと私は思う。
とくに“会社員のまま人生を終えること”ほど
もったいないことはないと思っている。
だがそんなものは私の主観に過ぎない。
人生が残り少なくなるにつれ人は“これだけは
やっておきたいこと”を考えるようになる。
だがそれを成し遂げるためには
“やらないこと”を決めるしかない。
時間は有限なのである。
何かをやるということは、
何かをやらないということだ。
周りの人間が言う“もったいない”を
全部クリアしていたら
人生はあっという間に終わってしまう。
そのすべてを体験することは不可能なのだ。
自分の好奇心や情熱が湧けばやればいい。
湧かなければやらなければいい。
他人のもったいないに左右される人生は
一番もったいない。
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