人間交換日記 164通目「なれるはずの人間になる事を妨げる状況」大野

人間交換日記

「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。


164通目/大野からの返信
「なれるはずの人間になる事を妨げる状況」

自由であらねばは最早自由で無いですからね。そして「ねばならない」を使っているだけで、よくよくしっかり見つめてみると、ちゃんと「したい」が隠れていたりもします。それを置き去りにしているだけの時も。何にせよ、過去がどうであれ、「したい」にチューニングして生きたいです。ここで重要になるのは、現状がどうであれ、それはこれまで学習してきた事を測るものであって、これから何を成し遂げるか?を測れるものではない。なぜなら、もし僕がコーチとして、例えば誰かの「したい」に対して、必要な資質がその誰かは欠けていると判断すれば、その誰かのなれるはずの人間になる事を妨げる状況を生み出す後押しをしていることになります。

前回163通目/安田「ねばねばは嫌いです。が・・・」

大野さんへ

「ねばならない」という言葉は使わないほうがいい。ねばねば人生になるから。そう教えられたことがあります。そもそも私は学校のねばねばが大嫌いでした。勉強せねば、テストでいい点を取らねば、かけっこで早く走らねば。他人から何かを押し付けられるのが嫌。そういう子供だったのです。大人になって、自分で会社をつくって、自由へ一直線となるはずでした。でも気がついたらねばねばに囚われていたのです。会社を大きくせねば、もっと有名にならねば、社員にいいところを見せねば、と。自ら嵌まり込んだねばねばから抜け出すのは、他人の強要から抜け出すよりずっと難しい。ふと気がつくと今でも「〇〇せねば」と唱えている自分がいます。

ー安田佳生より

 

前々回162通目/大野「正義の奴隷化」

安田さんへ

「ねばならなない」は人間の持つ創造性をことごとく殺す。これを例えば、企業文化に持ち込んでしまうと、最悪、家畜化になる。言わば「ねばならない」という正義の奴隷化。それ以外は排除される。それが数字だと数字をあげてからものをいえとか言う輩が出てくる。また、その「ねばならない」が数字ではなく、仮にどんなに崇高な理念だとしても同じこと。本来、崇高な理念に共鳴共感できるのならば、「ねばならない」など生まれないから。つまり、組織カルチャーにしても、個人の人生にしても「そうしたい」というゴール設定と「そうしたい」と心から願うステイトを持てるよう自分自身も含めて支援できるか?が鍵を握っているように思うんです。

ー大野より

 

これまでのやり取り

交換日記をする二人



火曜日
安田佳生(やすだ よしお)

1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。

●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
https://ichibantaisetsunakoto.com/
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/

感想・著者への質問はこちらから