第152回「共助の国(第3話)」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第152回「共助の国(第3話)」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

 

第2話までのお話。以前は日ノ本の国で中心的存在であった共助(ともすけ)は、西洋化によって国を追われ、放浪の身に・・さあ共助の行末はいかに!

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共助(ともすけ)は辺境の地を独り放浪していた。ゴロツキが集まる居酒屋の片隅で一人酒を飲んでいると、場違いな一行が目に入った。それは子供の一行で、こっそり観察していると、どうやら自分を探しているらしい。子供たちは店員や客に話を聞きながら、共助を見つけ出し、共助が座るテーブルまでツカツカとやってきて、唐突に言った。「今、ジジョロンが日ノ本中を支配しようとしているんです。共助さん、我々を助けてほしい!」。

しかし、共助の心は閉ざされていた。自分を用無しと追いやっておいて、今更都合がいいじゃないか。しかし、目の前の子供たちが、互いに助け合いながら、辺境の地まで辿り着き、自分を探し当てたことを知った時、共助は彼らの中に本来の自分を見てしまった。共に助け合う・・これがオレの本質だ。子供たちに気づかせてもらったこの恩を返そう。この命が尽きるまでキョウジョの生き方を貫こう。そうして、共助と子供たちの旅が始まった。

子供たちは「利己的な心」を呼び覚まし「分断」を生み出した「本」をジジョロンが住む地に返還する旅に出る。一方、共助は賛同する仲間を求めて各地を訪れ、協力体制を作り出し、ジジョロンが派兵した軍隊と戦う。数々の妨害、謀略、困難が次々と襲いかかる。果たして、旅はゴールを迎えることができるのだろうか。故郷に帰還できるのだろうか。

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自助・共助・公助は3点セットであるが、日本は「自助・公助」の2点セットの国になった。共助は地方やSNSといった辺境の地に追いやられ、日の目をみなくなった。誰もが目的地にたどり着くのに、カーナビやGoogle マップといった便利な道具に頼るようになった。そしてこんなシーンが町中から消えた。

「すいません、ここのお店行きたいんですけど?どうやって行けばいいですか?」

「ああここな、そこのタバコ屋左に曲がって2つめの角を右に進んで200メートルぐらいで左手にあるわ。ここの店長な、ワシと幼なじみやから、ワシの名前言ったらサービスしてくれよるで。逆に追い出されたらそん時はかんにんな(笑)散髪屋のゆうじゆうたらわかるわ。2つ目の角右やで、間違えたらあかんで。」

「ありがとうございました、ゆうじさん!」

自助と公助の2点セットを推進したことで、便利で合理的な世の中になったが、人と出会い、助け合い、感謝し、学び合い、その関係の輪が広がる、そんな共助の世界が激減した。

自己責任という言葉がはびこり、自助だけで生きている人は、税金を払ってるんだからと国や自治体への依存とバッシングをするようになった。結果、公共サービスが増え続け、行政は業務過多のブラック職場になり、それに比例して税金は増え、自助の人は税金を払うためにさらにがんばらないといけなくなった。

会社内は、同僚に無関心で、組織間には壁ができ、心理的な安全性が失われ、皆が防衛本能むきだしで戦う。ものすごいストレスにさらされるようになった。

そんな会社は、自組織を守るため、自組織の利益を最優先するばかり、他社を出し抜かんがために、公助の組織と癒着し、接待や賄賂がはびこるようになった。

失った価値が浮き彫りになっただろう。価値は取り戻せばいい話であるが、「私が共助をしなければ!」と一人で背負ったり、「共助がうまれるように公助でなんとかしないと!」と国や自治体の責任にしそうになる。しかし自責と他責では、共助は生まれない。では、どうしたら共助を取り戻すことができるのだろうか。まだ旅は続く。第4話へ。

 

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著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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