私たちは現実社会を生きている。
そして同時に、幻想社会を生きている。
家という建物は現実に存在するが、
家を所有するという権利は幻想に過ぎない。
オフィスという場所は現実に存在するが、
会社という存在は幻想に過ぎない。
硬貨や紙幣は現実に存在するが、
お金が持つ価値は幻想に過ぎない。
ここは私の土地である。
これは私の家である。
という幻想は、
自分以外の人間が信じることによってのみ、
現実化する。
会社の存在も、お金の価値も、
それを信じている人によって、成り立っているのである。
月の土地を所有することに、
なぜ人はもっと熱心にならないのだろう。
地球の土地と違って、使いようが無いから。
では使いようがあるとは、どのような状態なのか。
たとえば、子供銀行が発行するお金は使いようがない。
なぜ使えないのかと言えば、紙質が悪いからではない。
相手が欲しがらないからである。
地球の土地は欲しがるが、月の土地は欲しがらない。
それは、月の土地には住めないから、だろうか。
では、金という金属を欲しがり、
鉄という金属を欲しがらない理由は何なのか。
金は確かに錆びないが、柔らか過ぎて道具としては使えない。
鉄は加工すれば様々な道具として使用することが出来る。
にもかかわらず、人は鉄ではなく、金を欲しがる。
それは何故なのか。
答えは至ってシンプルである。
それは、人々が欲しがるからだ。
それでは答えになっていないと怒られてしまいそうだが、
実際にそれが答えなのだから仕方がない。
人は、人が欲しがるものを、欲しがるのである。
なぜならば、交換能力が高いからだ。
たくさんの人が欲しがるもの。
たとえば金や、ダイヤモンドや、都心の土地など。
それらは、自分が欲しい別のものと、
容易く交換することが出来る。
だが月の土地は、
そう簡単には欲しいものと交換することが出来ない。
なぜならば、月の土地を欲しがる人が少ないからである。
当たり前の話じゃないかと、そう思われるだろうか。
月の土地など、誰も欲しがるはずがない、と。
では人はなぜ、金やダイヤモンドを欲しがるのか。
価値があるから。高価だから。
そう私たちは信じ込んでいる。
だがもし、ある日突然、誰も金を欲しがらなくなったら、
誰もダイヤモンドを欲しがらなくなったら、
それはただの黄色の錆びない金属や、
よく光る硬い石ころでしかなくなる。
そんなことは、絶対にあり得ない。
そう信じている人が多いうちは、
金やダイヤの価値は暴落しないだろう。
そう、価値の本質は、信じている人の数なのである。
人権が尊重されるのも、国家を大切だと思うのも、
正社員になりたがるのも、
信じている人が多いからに他ならない。
昔は多くの人が、貝殻に価値があると信じていた。
現代では多くの人が、
国家や土地や正社員に価値があると信じている。
価値があるから、安定しているから、
正社員になりたいのではなく、
みんながなりたいから正社員になりたい、
というのが事実なのである。
尚、メールマガジンでは、コラムと同じテーマで、
より安田の人柄がにじみ出たエッセイ「ところで話は変わりますが…」や、
ミニコラム「本日の境目」を配信しています。
毎週水曜日配信の安田佳生メールマガジンは、以下よりご登録ください。