ゴミと宝物

金やプラチナ、あるいはダイヤモンドのように、
すべての人にとって価値のあるもの。
生ゴミのように、すべての人にとって価値のないもの。
そういうものは、実はとても少ないのである。

たとえば、珍しいカナブンの標本は、
それを集めている人にとっては宝物だが、
それ以外の人にとっては単なる昆虫の死骸でしかない。
隕石や三葉虫の化石は、
専門店に行けば何十万円、何百万円で、売られている。
だがこれも、興味のない人にとっては、
ただの石ころにしか見えない。

美味しいワインや日本酒も、
酒を飲まない人にとっては無意味な液体であるし、
ビンテージもののジーンズも、
コンクールで優勝した立派な松の盆栽も、
興味のない人にとっては単なる古着、単なる植物でしかない。
誰かにとっては宝物であるが、
それ以外の人にとってはゴミ同然のもの。
私たちの社会はそういうもので満たされているのである。

もちろん、自分に興味がなくても、
価値があると知っていれば捨てたりはしない。
このワインは1本1万円の価値がある。
この隕石は10万円の価値がある。
それが分かっていれば、知り合いにプレゼントするなり、
専門店で売り飛ばすなり、することだろう。

今はネットオークションもあるので、
要らないものを欲しい人に、直接販売することも可能だ。
私の知り合いは、ゴミ箱に捨てられていた腕時計を
ネットオークションに出したところ、
何と10万円以上で売れたそうだ。
しかもその時計は壊れていたそうである。

壊れて、バンドも切れて、汚れまみれの、汚い腕時計。
普通だったらゴミ箱行きである。
だがそれを、壊れていることを承知で欲しがる人がいる。
恐らく、質屋や専門店に売っても、
ただ同然の値段でしか引き取ってもらえないだろう。
だが直接欲しい人に売ることによって、
ゴミが宝に変わるのである。

インターネットによって、個人と個人が直接繋がっている社会。
私たちはそういう社会に住んでいる。
しかも多くの人は、スマホという小型パソコンを、
肌身離さず持ち歩いている。
今この瞬間に、300キロ離れた場所に居る人に、
壊れた腕時計を直接売ることが可能なのだ。

これが何を意味するのか。
賢い個人や会社は、それをよく理解している。
ゴミが宝物に変わるのである。
もちろんこれまでも、骨董品店や、
中古の腕時計を売る店はあった。
だがそこで宝に再生されていたゴミは、
ほんのわずかでしかなかった。
なぜなら、ある程度の人数が欲しがるものでなければ、
店の経営が成り立たないからである。

だがインターネットとスマホの普及により、
この状況は一変した。
日本中の(あるいは世界中の)、
たった一人が欲しいと思うゴミは、
宝物へと再生されるのである。
実際、ネットオークションでは、
これまで捨てるしかなかったものが売れている。
つまり、この社会の多くのゴミ(と思われていたもの)が、
宝物としてどんどん蘇っているのである。
もはやこの社会では、完全なるゴミを探す方が難しい。

 


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