その212「『やりがい』か?『収入』か?って質問について」

このコンテンツについて

なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「『やりがい』か?『収入』か?って質問について」

仕事において、「やりがい」か「収入」のどちらを重視しますか?

って質問ありますよね。
なんだか、「犠牲にするならどっち?」と聞かれているようにも感じますよね。
やりがいを選んだ人は収入を気にしない、収入を選んだ人はやりがいなんか無くてもいい、と答えさせられているような。
そもそも二律背反しないので、「両方重視する」って思っちゃいません?僕だけでしょうか?

そもそも、何にやりがいを感じるか?は人によって違うでしょうし、満足する収入もその人の価値観やライフステージによって変わりますよ。
でも、あんまり稼げていない状況を、「収入は低いけど、やりがいがあるからね」と肯定してみたり・・・
やりがいを感じられず漫然と働いている状況を、「まぁ、その代わり収入はいいからね」と肯定してみたり・・・
こうして書くと悲しいですが(苦笑)
僕は前者のケースに心当たりがありましたので、「やりがい」重視型なのでしょうか?
それとも単に稼ぐの下手な人なのでしょうか・・・(涙)

さて、やりがい/収入と聞いて思い出すのが、眼科医の服部匡志さんという方です。
彼はベトナムで多くの人に無償で治療を行い、アジアの社会貢献などに功績を残したことが評価されて、マグサイサイ賞を受賞されたそうです。
彼は医師として数千万の収入があったそうですが、ベトナムの窮状を救いたいと、ベトナムでの活動を開始します。
ベトナムでの手術は無償、医療資機材や薬品も自腹だそうで、「やりがい」を選択した結果、「収入」はゼロどころかマイナスになったわけです。
ベトナムでなくともその知識と技術で多くの人を助けられたろうし、アメリカなら億単位の年収になったろうとも言われているそうです。
しかし、彼にとって「やりがい」がより感じられる方(ベトナム)を選んだのかもしれません。
服部医師は、活動に必要な費用は日本に帰国した際に、フリーランスの眼科医として全国の病院を飛び回って得た報酬を充てているそうです。
活動資金を自腹で出しているということは、ちょっと極論ですが、「やりがい」を買っているとも言えませんかね?
「やりがい」を「収入」で購入/交換しているとすると、「収入」は「やりがい」と交換できるのでしょうか?
そもそも、服部医師が、アメリカで眼科医として働くことにやりがいを感じたらば、「やりがい」も「収入」も両立していますよね。

「やりがい」か「収入」のどちらを重視しますか?
という質問は、雇用者側からの
「好きな仕事なら安い給与でも幸せだよね?」
「嫌な仕事でもそこそこ給与があるのだから我慢してできるよね?」
の確認なのかもしれませんね。
「やりがい」や「収入(給与)」の提供ができているか自信がない企業が聞いてしまう質問かもしれません。
盛大なブーメランが返ってくる締めだな・・・(汗)

 

著者の他の記事を見る

著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

感想・著者への質問はこちらから