ゼネラリストの終焉

どの部署に配属されて、どんな仕事をするのか。どのような教育を受けて、どんなキャリアを目指すのか。これを自分で決めることができない。業務命令があればどこにでも転勤し、誰の部下にでもなり、どんな仕事でも引き受ける。それがゼネラリストという仕事である。

業務命令があれば残業も休日出勤も厭わない。定年までの40年近い人生を会社に一任し、それと引き換えに家族も含めた人生の安泰を手に入れる。まるで人身売買のような契約であるが、高度成長期の日本にはこのスタイルが合っていたのだろう。

実際に多くの人が文句も言わず、会社のために身を粉にして働き、その見返りとしてマイホームを手に入れ、子供の教育費や老後の生活費という不安を抱えることもなく、幸せな人生を送ってきた。自由と安定のトレードオフが見事に成立していたのである。

だがこのシステムは限界に来ている。終身雇用を約束してきた会社が早期退職を促す。役職定年で報酬を減らす。重たい人材を抱えたままでは競争に勝てないからである。50代になると「自分でキャリアメイクしなさい」と言われるが、自分で決めてこなかった人にキャリアメイクなど出来るはずがない。

ゼネラリストとして雇うなら終身雇用と年功序列はセットである。定年後も安心して生活できる報酬で再雇用する。あるいは、ずっと暮らしていけるだけの退職金を支払う。そこまで面倒を見られないのならゼネラリストという残酷な雇用はやめるべきだ。

どこで、どんな仕事をして、どんなキャリアを積み上げていくのか。最初からこれを自分で考えさせる。会社に人生を委ねるのではなく、自分で自分の人生に責任を持って生きていく。どう考えてもこの方がまともであるし、そうしない限り安定した人生は手に入らない。

会社が抱えるリスク、個人が抱えるリスク、どちらを考えてもゼネラリストはもう存在しえない。まずこの事実を双方が認めるべきだろう。全員がスペシャリストとして自分のキャリアを設計する。そういう時代になっていくのだ。

あらゆる仕事を細分化し、その仕事にマッチするスペシャリストを採用する。雇用することが難しければ外注する。もしくは他の会社と人材をシェアする。一刻も早くスペシャリストを軸にした組織に作り変えていく。ゼネラリストという幻想を捨てない限り人不足から抜け出すことはできないのである。

 

 

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