他人と人間の境目

人は誰しも他人の目が気になるものである。
自分は周りからどのように見られているのか。
そして他人の存在そのものが気になる。
同僚はいくら稼いでいるのか。
どのような生活をしているのか。
隣の子供の成績はどうか。
どこの学校に進学するのか。

比較し、自分の方が上ならば優越感が芽生える。
下だった場合には劣等感に苛まれる。
だったら下だけを見ていればいい、
という本を書いたことがあるのだが、
さっぱり売れなかった(下を向いて生きよう)。
なぜか人は自分よりも上の他人と比べたがる。

比べた結果、落胆し、失望し、嫉妬する。
実に無意味なことだ。
他人がいくら稼いでいようが、
どんな家に住んでようが、
その子供がどの学校に入ろうが、
自分の人生には何の関わりもないのだから。

他人と比較しても現実は何も変わらない。
変わるのは自分の心の状態だけ。
他人への過度な興味は、
人生に何ひとつプラスをもたらさないのである。
ただしそれは、人に興味を持たなくていい、
という事ではない。

人に興味がない人は
人間社会では成功することが出来ない。
矛盾するようであるが、
ここの線引きはとても重要なのである。
私たちは自分以外の人間に対して、
価値を提供し合いながら生きている。
たくさんの人間を喜ばせれば喜ばせるほど、
人生は豊かなものになって行く。

だからこそ、人間観察が必要なのだ。
人間とはどういう生き物で、
どういうものを欲しがり、
どういうことに喜びを覚えるのか。
人間を知らずして、
人間を喜ばせること(商売すること)は
出来ないのである。

他人への興味を人間への興味に変える。
これが人生を豊かにするための重要な一手なのである。
他人にどう思われるか、他人をどう思うか。
そこにエネルギーを費やしても、
得るべきものは何もない。
むしろ失うものだらけである。

人間は何を考えているのか。
人間はどう感じるのか。
人間はどう行動するか。
人間を観察し、人間を研究し、人間を知り尽くす。
ここにこそ、大きな価値が眠っているのだ。
他人という人格ではなく、
人間という存在そのものに興味を持つ。
それだけで人生は180度違うものになる。

「人の目が気になる」という時、
それが他人の目なのか、人間の目なのかを考える。
「人に興味がない」という時、他人に興味がないのか、
人間に興味がないのかを考える。
多くの人は他人に時間と感情を費やし過ぎている。
そのベクトルを人間に向けるのだ。

 


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