その161 しずたい

もしかしたら来年くらいにはみんな忘れているかもしれませんが、「静かな退職」なる、働き方?が語られています。

流行り言葉というものは、それが事実かどうかではなく、多くのひとがうっすら思っている感情を形にしたものです。働いているひとで、「静かな退職」こそが人生における仕事のスタイルとして最適解だったという人がどれだけいるかはわかりませんが、それが自分の望んでいたものだったと感じるひとが少なからずいる、ということは事実なのでしょう。

一方、そんなことを表明されたところで、ストレートに違和感を感じる側もまた、多いことでしょう。
そもそも、昭和以来の日本の労働社会は同調圧力で武装したチーム至上主義、ムラ社会のノリでずっと来ていたわけで、その体質と「静かな退職」は真逆といえます。

しかし、今の世になり、いままで表に出ていなかった水面下から「静かな退職」的価値観が浮かび上がり、衆目にさらされるというのは興味深いことでもあります。

この手の価値観がそれまでなかったわけではありません。

ただ、いってみればそんな「幼稚でコミュ障」な個人主義は、社会という場所では人目につくことが許されていなかったのです。だれかが所属している集団になにかを表明するというのは、意味のあるものに限られます。そんななかで個人が集団に対して益にならない価値観をモノ申すというのは、いわば集団という小さな社会において、自分が害しかなさないアンチである宣言、「反社」行為なのです。

当然、そんなことをしたあかつきには、席がなくなったりいじめられたりなどの制裁が科せられます。
そのような「間違った」個人主義はいままでもれなく机の下に隠されてきて、そのかわり、ビタイチ余計な仕事をする気がないひとたちはみな、集団への反社的精神を粛々と行動で表現してきたわけです。

そうしているうちに、いつの間にか集団は集団に所属させることで個人に与えるインセンティブをぼろぼろと失っていきました。
ボスを囲んで飲みに行くことも、週末の時間を一緒に過ごすことも、具体的な見返りがなくなったことで人生のコスパを下げる行為になりさがり、ましてや仕事のためにゴルフを始めるなど、狂気の沙汰かもしれません。

残ったのは、ローカルな上下関係くらいでは、迂闊な報復行為は法が許さないという、コンプラだけとなりました。

もはや、「給与で勤務時間以外を買うことはできない」と声に出されても、罰することはできないのです。

……そして思うのですが、有能な若い人であれば、この風潮はチャンスですよね。
能力値は高くて、これを真に受けてしまうタイプの同年代が、勝手に脱落するかもしれないのですから……
 

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

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