その237 親の偉大じゃなさを知る

すべての人にそうではないかもしれませんが、幼いころ、親というのは神みたいなものでした。
目に入る世界のほとんどを司っていて、どこまでも自分を守護してくれる。

それが何段階かの成長を経てあやしくなってまいります。
なんかいろいろ不完全じゃないのか?ということに気づいてしまい、反抗期というイベントに遭遇したが最後、そっちのルートを突っぱってしまったりします。

往々にして親が明確にやらかした失敗を察知してしまったりするともう手がつけられません。反抗を通り越して見下したりなどするかもしれません。

そんなこんなで独立する段階になり、人生の生活パートを全部自分で担当しなくてはいけなくなる。世間様とも自分で向き合う。となると、あの冴えないおじさんやくすんだおばさんがそれなりに社会を渡っていたことを実感しはじめます。

さらには結婚したり子どもを持つ、そのとき思うことでしょう
「親は偉大だった」。

よくそこまでは語られます。でも実際のところ、人生はまだ続きます。

自分があの冴えないおじさんになったころ、そういえば、と思い出します。
もう亡くなった、極度に無口で本好きだった父親が定年後に図書館に通って借りてきていた本のこと。

推理、バイオレンス、サスペンス、ちょっとしたお色気……。
……ほとんどしょうもない娯楽小説で、もうちょっといいもの読んでもよかったじゃん。

あるいは、無口がすぎて普段自分が何をしているかを語ることが全くなかったのですが、最近になって、母親も知らない謎の面々と撮ったスナップ写真が出てきて家族皆がずっこけたり。

気功サークルってなんだよ。

そうして神のような存在からはじまり、本気の感情をぶつけあうような腐れ縁でつながれた他人となり、やがて少しずつ疎遠になり、ついに片方が現世から退場します。

そしていまでは古い友達のようになった親が、自分の人生の隣にいるのです。
 

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

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