あるレストランでの出来事。
ピカソは店員に「何か描いてくれ」
と言ってナプキンを渡される。
1分ほどでナプキンに絵を描いたピカソは
100万円を要求したと言われている。
「たった1分で100万は高すぎる」と驚く店員に
ピカソは「40年と1分だ」と答えたそうだ。
真偽の程は定かではないが
ピカソが言いたいことは分かる。
いや、現にピカソが描いたその絵には
100万円の価値があるのだろう。
なぜならそれは紛う事なき
ピカソの真筆だからである。
我々はこのエピソードから
学ばなくてはならない。
途切れない時間が
破格の価値を生み出すという事実を。
例えばなぜ、そこらの高校生が
微分積分などという高等な計算ができるのか。
それは数学が途切れていないからだ。
足し算、引き算から始まり、
微分積分まで至る長い長い数学の歴史。
私たちは何千年もかけて
積み重ねてきたその思考を
数年で学ぶことができる。
どんなに頭のいい高校生でも、
何も教えられずに微分積分を
編み出すことは不可能だろう。
反対に普通の高校生でも、
千年前にワープすれば天才になれる。
途切れない思考は凡人すら天才に
変えてしまうのである。
例えば毎日30分喫茶店について真剣に考える。
どういう喫茶店が儲かるのか。
人は何を求めて喫茶店に来るのか。
商品はどのように工夫すればいいのか。
雇う人は、内装は、サービスは、と考える。
それを10年続ければ、
喫茶店について思考した時間は
合計1825時間になる。
だが重要なのは合計時間ではない。
重要なのはその時間が繋がっているということ。
途切れない思考だけが
爆発的な価値を生み出すのである。
現実問題として、1825時間
考え続けることは人間には出来ない。
ピカソも40年間一瞬たりとも休まずに
絵を描き続けていたわけではない。
昨日描いた絵の続きを今日も描く。
その連続で作品は出来上がる。
そしてそれは次の作品にも繋がって行く。
だから40年と1分の価値があるのだ。
思考もこれと同じである。
昨日の30分の続き、
すなわち31分から思考をスタートさせる。
そうすることによって思考は繋がっていく。
さらに次の日も61分からスタートする。
10年続ければ10万9500分になる。
この人に喫茶店のアドバイスを求めたとしよう。
お店を見て10分ほどで的確なアドバイスをする。
その価値は10万9510分の価値なのである。
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