第11回 妻の洋服を売って生活費にしていた私

この対談について

人は何のために働くのか。仕事を通じてどんな満足を求めるのか。時代の流れとともに変化する働き方、そして経営手法。その中で「従業員満足度」に着目し様々な活動を続ける従業員満足度研究所株式会社 代表の藤原 清道(ふじわら・せいどう)さんに、従業員満足度を上げるためのノウハウをお聞きします。

第11回 妻の洋服を売って生活費にしていた私

安田

今でこそ事業が絶好調な藤原さんですが、昔はけっこう苦労されたんですよね。会社を立ち上げて3年くらいは、奥さんの洋服を売って生活していたと聞きましたが、本当なんでしょうか?(笑)


藤原

はい。お恥ずかしいですが、本当です(笑)。

安田

それはなかなかの状況ですね(笑)。ちなみに創業はいつくらいでした?


藤原

創業は1997年ですね。長女が生まれた年なので忘れません。

安田

ほう。子育てにお金がかかる時期に、全然儲かってなかったと。マズいですね(笑)。


藤原

マズいですよね(笑)。本当に苦労しました。

安田

でもなぜ、そんな時期に起業されたんですか? お子さんが生まれることはわかっていたわけでしょう?


藤原

そうなんですけどね。ダメ元で「会社を辞めてやりたいことがある」と妻に伝えたら、「私が何を言っても、あなたはどうせやるんでしょ?」と。

安田

ははぁ、やはり女性は強いですね。肝が座っているというか。


藤原

あるいは呆れられていたのか(笑)。ともあれそれで起業して会社を作ったわけですが、想像以上の苦労が待っていましたねぇ。

安田

ちなみに実際どんな状況だったんですか? 嫌でなければもう少し具体的に教えてもらいたいです。


藤原

そうですねぇ。端的に言えば、仕事が全然取れなかったですね。当時はまともなホームページを持っている会社も少なかったし、メールでのやりとりも当たり前ではない時代です。ネットを通じての営業ができないから、手当たり次第に飛び込み営業するしかなくて。

安田

ははぁ、それは大変だ。でも多少は話を聞いてくれたりしませんでした?


藤原

全然ダメでしたね。いわゆる「門前払い」ばかりですよ。仕事が取れないから当然売上はゼロで、会社の資金はどんどん減っていく。当然自分の報酬も取れなくて、プライベートの貯金も底をつき始めて……。

安田

それはキツイですね。お金がなかった時は、どんな生活をされていたんですか?


藤原

そうですねぇ。一番お金がなかった時は、築年数もかなり古い神奈川の県営住宅に住んでましたね。家賃は4万5000円くらいの。

安田

それは安い! 社長が住んでいる物件とは思えないですね(笑)。


藤原

はい(笑)。もっとも、そこに引っ越したわけではなく、もともとそこに住んでいたんですけどね。ただ、県営住宅って所得に応じて家賃が変動するんですよ。社長になったのにその家賃がどんどん下がっていって……情けなかったですね。

安田

ははぁ、一般的に家賃が下がるのは素晴らしいことですが、要するに「それほどまでに収入が低い」ということだと。


藤原

ええ。一番家賃が安かった時は、1万円台まで下がりましたから。年金やら住民税もほぼ免除でしたね(笑)。

安田

へぇ! 1万円台ですか。それにしても、経営者でも税金の免除をしてもらえるんですねぇ(笑)。では当時は、ほぼ生活保護の一歩手前のような状況だったと。


藤原

さすがに生活保護まではいかなかったですが、ギリギリの生活だったのは間違いないです。

安田

で、奥さんの洋服やら身の回りのものを売り始めて(笑)。


藤原

そういうことです(笑)。

安田

ちなみにそれって、藤原さんが「すまないけど、売らせてくれ」と言ったんですか?


藤原

ああ、いえ、私からはとても言えないです。「使わなくなったから売ろうか」と自ら言ってくれて。ちょうどヤフーオークションが出始めた頃で、妻が独身の時に好きで買っていたブランド品の洋服やバッグを出品してくれたんです。

安田

それで得たお金を生活費に。本当にいい奥さんですね(笑)。


藤原

はい。今考えると本当に申し訳なかったと思っています。ブランド品を売るだけじゃなく、農業をしていた妻の実家に頼んで、米や野菜も手に入れてくれました。

安田

うーん。「内助の功」だとしても出来過ぎですね(笑)。


藤原

まったくその通りです。よくついて来てくれたなと思います(笑)。

安田

そんな過去を経て、「理想だけじゃあ、食っていけない!」と利益至上主義になっていったと。甘いこと言っていたら、会社経営なんてやっていけないと思ったんですね。


藤原

ええ、ひもじい思いをしたからとはいえ、間違った方向に舵を切りました。「とにかく売って来い」「何とか売り上げろ」そんなひどいワンマン社長になっていって。

安田

今ではそれをすごく悔いていらっしゃいますもんね。


藤原

ええ。従業員満足度なんて欠片もない状況でしたから。とはいえ、恥ずかしい話ですが、当時はそれが正しいと信じていたんです。

安田

いやいや、当然ですよ。それには多くの経営者が賛同すると思います。利益がなければ会社は潰れるわけで、そうしたら従業員自身だって困るわけですから。


藤原

ええ、当時はそう公言して憚りませんでした。利益が上がれば従業員の給与も増え、その家族も養うことができる。それはお前ら自身も望んでいることだろう?と。

安田

経営者目線で言えば、「まさにその通り」なんですけど。でも、そういう経営で実際に業績をアップさせていったにも関わらず、「あんたにはもうついていけない」と次々従業員が辞めていってしまった。


藤原

意味がわからなかったですよね。実際給与も上がっていっている最中だったのに。まぁ、私の人間性に問題があったのかもしれません(笑)。

安田

いやいや(笑)。人間性ってそんなに変わらないと思いますけど。現在の藤原さんを見ていても、人間性に原因があったとはとても思えない。


藤原

ありがとうございます。とはいえ実際に従業員に去られた時は、「今までやってきたことはすべて間違いだった」と突き付けられたような気がして。従業員は給与や待遇などの外的報酬を目的にして働くものだと思っていたのに、どうして、と。

安田

いや、他の経営者さんだってみんなそう思ってますよ。むしろ外的報酬でしっかり報いていた藤原さんは、すごく真摯な経営者だと思います。


藤原

慰めてくださって、ありがとうございます(笑)。でもあの時はこてんぱんに凹まされましたね。「自分に対する無力感」がすごくて。

安田

そりゃあ、従業員全員に辞められたらそうなりますよ。でも、そのどん底を経験したことで、藤原さんは気付いた。


藤原

ええ。自分には内的報酬っていう発想がなかった。「儲かればいい」とだけ思っていて、理念なんて何もなかった。そもそもそれを掲げる必要性さえ感じていなかった。

安田

それで今の「従業員満足度研究所」へと続くスタンスになっていったわけですね。確かに私も藤原さんと話していて、内的報酬って大切なんだなと思うようになりました。でもね、そもそも外的報酬が用意できない経営者も多いわけじゃないですか。


藤原

まぁ、それはそうかもしれません。正直、利益を追求する姿勢は今でも大事だと思っていますし、そこについては当時も間違ってはいなかったなと。

安田

そうですよ。実際それで稼いで社員に還元していたんだから、大したものですよ。


藤原

ありがとうございます。でも、事実従業員には去られてしまったわけで……「どこで自分は道を踏み外したんだろう?」と、いろんな本を読んでみたり、ワイキューブさんのセミナーに参加してみたり(笑)。

安田

ありがとうございます(笑)。まぁ、家庭に例えるなら、奥さんに毎月給料を持って帰らなきゃ逃げられるけど、かといって給料さえ渡しておけばいいわけでもない、ということですよね。


藤原

本当に仰るとおりで。つまり当時の私は、「俺が金を持ってきてやってるんだから、お前は一切文句を言うな」みたいな、ひどい亭主のような経営者だったんでしょうね。

安田

従業員の給料を増やすことも大切だけれども、それだけが経営者の仕事ではないということですね。。いいお話を聞かせて頂きました。過去があって、今の従業員満足研究所株式会社があるわけですね。

 


対談している二人

藤原 清道(ふじわら せいどう)
従業員満足度研究所株式会社 代表

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1973年京都府生まれ。旅行会社、ベンチャー企業を経て24歳で起業。2007年、自社のクレド経営を個人版にアレンジした「マイクレド」を開発、講演活動などを開始。2013年、「従業員満足度研究所」設立。「従業員満足度実践塾」や会員制メールマガジン等のサービスを展開し、企業のES(従業員満足度)向上支援を行っている。

 


安田 佳生(やすだ よしお)
境目研究家

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1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。安田佳生事務所、株式会社ブランドファーマーズ・インク(BFI)代表。

 


 

 

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