その119 あいつらは何故きらわれるのか

先日、経営をテーマにしたコンテンツで
プロの経営コンサルの方が会社の人事評価制度について語っておられたのを聞きました。

総論としては、どんな会社でも人事評価はあったほうがいいし、
部門ごとにも客観化、定量化した基準を設定した方が良い、とのことでした。
営業や製品開発といった「攻め」の部署ではもちろん、
人事総務のような間接部門でも、新しい取り組みをいくつ行ったかなどの
数値化をすることは可能であるから、と。

まったくもってその通りですが、
同時に、間接部門の評価を新しい価値創造の有無にゆだねるのも
正直、ツボからは少々外れているような気もします。

「こんなことを開発した」「あんなことを始めてみた」ということに
自分のリソースの大半を投下している人たちで構成されている間接部門が
あったら、業務は止まってしまいますよね……

ただ、間接部門の本分が
「決まっていることを、ちゃんと進めること」
であるのは、個別の内容にかかわらず共通であると思うのですが、
前述のように、そういうシゴトをしている人に点数をつけようとすれば
「マンネリに陥らないこと」
「前に進んでいること」
が目に見えているようにできているか、で判断する以外ありません。

これは極論かもしれませんが、
個人的に、間接部門の業務を長くやっていて感じてきたのは、

「経営者は、間接部門がお好きではないのだろうなあ」

ということです。経営者でなくても、シニアマネージャーとか統括部長とか、
会社の方向性を決める立場に近いほど、そうなのだと思います。

間接部門をターゲットにしたビジネスはこの世にあまたありますが、
間接部門の仕事をするために会社を始められる方は
おそらくこの世に一人もいないでしょう。

組織運用上やむをえず内部に設置した必要悪、それが間接部門であり、
そこに勤務する正社員は、経営者からすれば
固定費が人間の形をして動いていやがるくらいに見えても仕方ないのです。

一方で、これも経験則ですが、そこに働いている人というのも
自分が好かれざる存在であることはうすうす理解していても、
それ以上のことには無頓着であることが多いようです。

たとえば、仕事の価値は業務を適正に行えているかどうかで決まるものだと、
総じてなんとなく信じているきらいがあるように思えてなりません。

わたくしは自分の業務を家のトイレのようなものではないかと考えています。

臭かったり詰まったりすることは許されないが、
使えるだけではなんの意味もないと定義されている存在。

そんなトイレですが、人さまに価値を感じていただくためには、
一体どう在ればいいのでしょうかねえ?

 

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

リーマン20年のキャリアを3ヶ月分に集約し、フツーだけど濃度はまあまあすごいエッセンスをご提供するカリキュラム、「グッドゴーイング」を制作中です。

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