♯167「俳号」

今週は。

いつの間にか紫陽花が美しい季節となった。俳句の世界では、紫陽花は梅雨と並び六月を代表する季題のひとつであるが、六月は季題が多く、あやめ、十薬(どくだみ)、紫蘇、あめんぼう、蠅、蜘蛛などみなそうである。

俳句と季題は切っても切れぬ関係にあるが、季題には、同じ季節の同じ事柄を異なる言葉で表現する「副題」というものがある。

紫陽花の副題は「七変化」と「四葩(よひら)」。副題は、粋で味わい深いものが多く、雪の副題である「六花(ろっか)」なども、じつに洒落たものだと思う。

副題は字足らず、字余りの際に使うとなかなか便利なものあるが、語感や調べを含めて使い分けられるようになると、さぞや楽しいことだろう。ボクの俳句はまだとてもその域まで達していない。

人の世界にも、ペンネームというものがある。作家に多く、古くは阿佐田哲也(色川武大)、尾辻克彦(赤瀬川原平)、イザヤ・ベンダサン(山本七平)。最近では宮部みゆき、伊坂幸太郎、石田衣良などがよく知られているところであろうか。

本名とはありがたいものであるが、同時に、不自由なもので、余程のことがない限り、一生ついて回る。名前だけならよいのだが、そこに付いた手垢や埃も一緒について回るのが厄介だ。そういった煩わしさから逃れ、別人格を生きたくて、人はペンネームを持ちたくなるのかもしれない。

ちなみに、ボクの俳号は「雷太」である。職業をモジって、先生が名付けてくれた。雷太でいるとき、少しだけ乱暴者の気分になれる。

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