「変化だ、変化だ、変化が大事だ」とみなさんおっしゃいますが、会社も商品も人生も、「変えなくてはならないもの」があるのと同様、「変わらないもの」「変えてはならないもの」もあるのです。ではその境目は一体どこにあるのか。境目研究家の私(安田)が泉先生にあれやこれや聞いていきます。
第1回 「変わるもの・変わらないもの」
じつは最近、にわか易学にハマってまして。
お、そうですか。
もらった本を1冊読んだだけ、なんですけど。泉さんは詳しそうですよね。
私もかじったぐらいです。易経とかは読みましたけど。
易って、ひとことで言うと何だと思います?
宇宙と大自然の法則みたいなものですかね。東洋医学の元になっているものでもありますね。
そうですよね。私は易って占いみたいなものだと思ってたんですよ。当たるも八卦みたいな。
諸葛亮孔明も卦を立てていたらしいです。ただ、占いというよりは、大自然の原理原則を元に「作戦を考えたり」「意思決定をしたり」していたのでしょうね。
私が一番「なるほどな」と思ったのは、変わるものと変わらないものの話。
それは易の基本ですね。時間は常に変化しているけれども、朝昼夜という順番は絶対に変わらない、とか。季節も常に変化しているけど、春夏秋冬の順番は変わらない、とか。
みたいですね。私は全く知りませんでした。でも言われてみれば、それって自然の摂理ですよね。「変わり続けるものの中に、絶対に変わらないものがある」という。
「変化に抗うこと」はできないけれども、経験の積み重ねによって「その流れを読むこと」はできる。それが易の教えるところです。
いや〜深いですよね。ビジネスも人生も、まさに必要なのはそこだと思います。で、この対談の趣旨なんですけど。
はい。
泉さんは日本のことや、日本人のことや、もっと言えば人間のことなんかにも詳しいですよね?
詳しいというか、興味があるんですよ。だから、とことん研究したくなる。
そういう泉さんに、私が聞いてみたいのは「変化の取り扱い方」みたいな部分。
マニアックですね(笑)。
たとえば春夏秋冬などは、受け入れるべき変化ですよね。
受け入れるしかない変化ですね。受け入れて、季節の先を読んで、しっかりと準備するべき変化。
そうですよね。でも一方で「受け入れちゃいけない変化」みたいなものも、ありますよね?
受け入れちゃいけない、というか「変えてはいけない原理原則」みたいなものはありますね。
その辺の境目を、泉さんと一緒にどんどん深掘りしていきたいんです。
わかりました。面白そうですね。
そこでまず、泉さんの書かれているコラム「日本人の取扱説明書」について聞きたいんですけど。
はい、何でしょう。
あのコラムは「日本人として、ここは変えないほうがいい」という示唆のように感じるのですが。
そうですね。ひとことで言えば「積みあがってきているものを大切にする」ということでしょうか。
積みあがってきているもの?
たとえば朝昼晩とか春夏秋冬。全部積みあがってきているじゃないですか。
え?季節って、積みあがっているんですか?
私はそう思います。過去の季節の上に、新たに冬がきて、春が来て、と、どんどん積みあがっていく。
ということは、今年の春と去年の春は違うということですか?
違うということですね。
なるほど。
積みあがってきた土台の上に今がある。だからその土台を大切にしようと言いたい。
大切にしていないように見えますか?
今の我々は、積みあがっているものを「ほったらかし」にして生きているように見えます。
たとえば、どういうものを「ほったらかし」にしてますか?
コラムにも書きましたけど、たとえば土壌とかですね。
「どじょうの国」書いてましたね。
土壌の中には、いろんなものが埋まってるんですよ。
有象無象が、いっぱい埋まってそうですね。
はい。その中から「価値のあるもの」を掘り起こすのが私の役目です。
なるほど。でも日本の土壌ってかなり長い間、それこそ2000年とかかけて積みあがってますよね。
はい、そうですね。
その中でも、たとえば鎌倉時代の土壌と江戸時代の土壌って、だいぶ違うと思うんですけど。
違いますね。明治と大正でも違うし、戦前戦後でもぜんぜん違います。
だったらその中で、どの部分が「日本の土壌」と言えるんですか?
全部です。地層のように各時代の土壌が積み重なって、現在の土台ができているわけです。
西洋的なものも途中で入ってきてますけど。
それも我々にとっては土壌の一部なんですよ。
ということは、戦後に入ってきた思想や価値観も、いまでは我々の土壌だということですよね?
はい。
だったら、我々現代人が「土壌を大切にしていない」とは言えないんじゃないですか?だって今の価値観を大切にしてますよね。
それは確かに土壌の一部なんですけど、すごく表面的な部分なんですよ。もう少し深いところをないがしろにしてしまっている。
ないがしろにすると、どうなるんですか?
すごく非効率になると思います。
非効率?
はい。土壌に十分肥料があるのに、わざわざ化学肥料を買ってきて、ぶちまけて、もともとある肥料をつぶしている。とても非効率なことをやっている。
わざわざ買ってくる肥料は、例えばどんなものですか?
働く文化なんかも「西洋的働く文化」を入れてきてるじゃないですか。「会社」もそうだし。「金融経済」もそうだし。
じゃあ、今の日本社会は肥料漬けですね。
はい。肥料漬けで、とても不自然ですね。
不自然?
はい。我々にとって不自然に感じるものを、無理やり我慢している感じ。
確かに我慢している感じはしますね。社会全体的に。
でしょ。
でも資本主義や株式会社、金融とかまで否定してしまうと、成り立たなくないですか?
否定するのではなく、受け入れる時にもっと「和洋折衷」したらいいんですよ。
和洋折衷ですか?
これまで積みあがってきた土壌とつなげるということです。今は和洋折衷できてないものがいっぱいある。
会社とかそうなんですか?
そう思いますね。
日本式になっていないと?
我々には「快か不快か」っていう感覚があるじゃないですか?
はい。あります。
その感覚って、何千年前の人から積みあがってきた感覚だと思うんですよ。
積みあがってきた感覚?
快・不快という動物的反応って、長い時間をかけて作り上げられたものだと思う。
なるほど。
その感覚がとても大事だと思うんですよね。
まあ、不快なことを我慢するのは嫌ですけど。
でも我慢しているうちに慣れてきちゃうんですよ。
不快が不快ではなくなってくると?
なくなるというより、感覚が鈍くなってくる。化学調味料に違和感を覚えなくなる感じ。
怖いですね。
怖いですよ。だからそうならない為にも、不快という感覚は大事なんです。
不快なことは我慢してはいけないと。
はい。不快という感覚は、「ここは変えてはいけない」という警笛みたいなものだと思います。
…次回第2回へ続く…