このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
あなたは「正解」を選べていますか?
先日、おばあちゃんに道を尋ねられたんです。
ピンク髪のおっさんに声かけるくらいだから、よほど困っていたんだと思います。
そのおばあちゃんは、何やら会場(イベント!?)の名前が書いてある紙を僕に見せました。
◯◯橋の近くの公園に行きたいってことだそうで・・・
スマホで調べてみると、場所が分かったので、「この道をまっすぐ行くと、すぐに大通りに出るから、そこを左に曲がってまっすぐ歩いていくと公園があるよ」って教えたんです。
でも、なんだか気になって、そのおばあちゃんを見てたんですよ。
そしたら、道をまっすぐ行かずに、フラフラ右に曲がり始めたんですよね。
おいおい!「右」って単語を一度も使ってないぞ!(汗)
僕は追いかけて行って、「いやいや、おばあちゃんッ!この道をまっすぐだから、あの道見えるでしょう?2つ目の赤信号のところ。あそこまで行ってから左だよー」って再度お伝えしたんです。
そしたら、「親切にどうも」って飴ちゃんを2つくれましたw
孫が喜びそうにない、おばあちゃんっぽい飴で、それがなんだかすごい懐かしくて。
そんなに遠くもないし、道もすごく分かりやすい場所でした、あのおばあちゃんがたどり着けたかどうかは分かりません・・・
時速1キロくらいのスピードでしたから、もしかすると40分くらいかかるかもしれません(汗)
フト、あのときの「正解」は何だったんだろう?って思えてきたんです。
「せめて大通りまで一緒に付いていくべきだったんだろうか?」とか。
「正解」って何なんでしょうね?
今月上旬の話なんですが・・・
緊急事態宣言が明けて、社内の希望者数名と食事に行ったんです。
まぁ、気軽な食事会でしたから、仕事の話はほとんどなくて、しょうもない話が大半でした。
で、「好きなタイプ」の話になったんです。
20代前半の女性社員が「ごーどん、まえだごーどん!」って言ってたんですね。
話の流れから千葉真一さんの息子さんということはわかったんですが、僕、「ごーどん」のこと知らなかったんです・・・
調べてみたら、「眞栄田郷敦」って書くのですね・・・もう読めも書けもしないよ(汗)
いやぁ、新しい発見でした!
ここで、うちの社長なんですが、「うーん、そういうの無いんですけどねぇ…」とさんざんもったいぶったあげく、「石田ゆり子」という模範解答を置きにきたんです。
誰にも何も言われない、女性社員からも反感を持たれず、女性の趣味を疑われない、絶妙なラインですよね。
つまり、社長はあの状況下での「正解」を選べたってことなんだよな、と。
一方、僕なんて、社長が本音を言いやすいように、「顔にタオル被せちゃえば誰でもいける」なんて言ってしまっているわけです。
「あー、石田ゆり子さん、きれいですよね」みたいに清楚で清廉な空気が漂う中、濁りまくった僕には「セクハラですよ」的な視線が向けられるわけです(涙)
「正解」の意味を調べてみると、「正しく理解し、解釈すること」ってありました。
状況を正しく理解し、解釈した結果・・・、確かにあの場での「正解」は「石田ゆり子」だったのかもしれません。
では、気のおけない男友達との会話のとき、果たして社長は「石田ゆり子」という答えを再び出すだろうか!?
・・・まぁ、でも、彼は間違っても「顔にタオルを被せちゃえば…」なんてことは言わないと思いますが。
こうして80話も後半に差し掛かり、100話が見えてくるまで記事を書き続けてても、何を書いたら良いのか、「正解」が全く見えないんですよね・・・あはは。
考えてみたら・・・
20歳の頃に勤めた会社の懇親会で、社長から「好きなもの頼め」と言われて、「カキフライ定食ください」と注文したんです。
頼んだその瞬間、ぶん殴られましたね。
「こういうときは皆でシェアできるものを頼むのが常識だッ!!!」って。
それ以来、カキフライ定食を頼むときにドキドキします・・・(PTSD的な何かでしょうか…)
どうも、昔から「正しく理解し、解釈する」のが苦手だったんですね・・・涙
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。