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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
「何にでも『距離感』があると考えてみると面白いんじゃないか!?」
先日、阿寺ブルーと呼ばれる澄んだエメラルドグリーンの清流が有名な阿寺渓谷に行ってきました。
川底がはっきりと見えるくらいの透明感があって、本当にきれいな場所で、写真や動画で見て以来、どうしてもこの目で見たくなって。
確かに美しいエメラルドグリーンで、素晴らしかったです。
ただ、僕は遠くから眺めて楽しむタイプではなくて、ドボンと飛び込んじゃう体験したいタイプなので、その阿寺ブルーが僕に必要だったのか!?と言われると、そこそこきれいな川で満たされたんじゃないかって・・・
同じ水関係の観光スポットで、沖縄にある青の洞窟なんかも神秘的なのですが、ドボンしちゃうと普通の海なんですよね。
こういう光の屈折とか特定の条件が必要なのもあって、その魅力を感じるために一定の距離が必要なのかもしれません。
なるほど、魅力や品質が最大化される絶妙な「距離感」ってのがそこにあるんでしょうね。
魅力や品質を高める、安定させるために、その距離をいかに保ち続けるのか?!というのが非常に重要だになってきます。
それでフト思い出したのが、ダミアン・ハーストの桜です。
国立新美術館で展示されていたときに、見に行ったんです。
僕の大好きな山下清画伯を彷彿とさせる点描で描かれた巨大な(等身大の)桜が何点か展示してありました。
会場に入ると、ブワーッと桜がそこにある、そう感じたのですが、絵との距離が変わるにつれて絵の詳細が把握できるようになり、桜だった絵が色とりどりの点の集合体に変化します。それは桜の花びらではなく、筆で描かれた巨大な点でした。
絵とのコミュニケーション、絵の解釈が距離によって変わることが興味深くて、桜の絵を前に前進、後退を繰り返していました。
桜として絵を感じたいなら、最適な距離感はもしかすると3メートル未満では不足しているかもしれません。
そのため美術館では、絵との距離をかなりとれるような展示をしていました。
これが仮に2メートル程度しか距離がとれないような展示であれば、桜としての美しさは感じられなかったかもしれません。
点描と言えば、テレビやディスプレイなどは、RGB(赤・緑・青)という光の三原色で色を作っていますよね。
昭和世代にはお馴染みのブラウン管テレビは画面に顔を近づけて注意深く確認するとその3色を感じることができましたが、今のテレビやディスプレイは解像度が高いので、肉眼では分かりづらいですね。
これは技術によって、品質が最大化される距離を広げてきたと言えませんかね。
人も同様で距離感ってすごく大事ですよね。
距離感が合う人同士なら問題ありませんが、近い距離で力を発揮するようなフレンドリーな人を苦手な人見知りの人とかもいるわけです。
また、知らなかった一面を知って、印象が変わることもあるでしょう。
仕事でも普段から距離感を意識していくと、提供している商品やサービスの印象や品質が違ってくるかもしれませんね。
きっと、自社とお客様、従業員など、あらゆる関係性において、適切な距離感があって、それを掴むことは大切なんでしょうね。
ちなみに、格闘技でも距離感が大事と言われます。
「自分の距離で!」なんてアドバイスがありますが、僕の距離は相手の攻撃も自分の攻撃も当たらないコミュ障ならではのゼロ接点の距離感なので、試合にならないんですよね。
交わらなければ傷つくことも、傷つけることも無い、そんなタイプ・・・あれ、目から水が湧き出てきた・・・
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。