この記事について
半世紀も生きてきますと、【ことわざ】の持つ意味が、より深く染みるようになりました。昔の人はうまいこと言ったもんだなぁと、しみじみ。時代の転換期、大きく世の中が変わってゆく中でも、人やこの世の本質的な部分は、案外変わらなかったりします。結構スルドイところを突いてくるのです。
本日のことわざ
「始めあるものは終わりあり」
本日のことわざ【始めあるものは終わりあり】
文章“まんま”の意味だね。わかりやすい、、、けど深いネ!
中国の漢代に書かれた揚子法言の中に「生有る者は必ず死あり。始め有る者は必ず終わり有り。自然の道なり。」とあるし、日本では空海が「始有るものは終有り、生有るものは死有り、合会は離るること有り、良に以有るかな。」と記しているそうだよ。
普遍的な地球の摂理だから、時代も国も関係なく言われ続けているんだな☆
前回【光陰矢の如し】ということわざを取り上げて、いのち=時間であって、それには限りがあるからという話をしたのだけど、今回はそれに付随する内容になるかな。
「月日が過ぎるのは矢のように早い」から一歩踏み込んで「それには終わりが必ず来る」というハナシだな。
始めがあればいつか終わりもくる・・・これも、みんな知ってることなんだけどさ、忘れちゃうんだよな。つい人間はさ。
「出会いは別れの始まり」みたいな歌を人間はたくさんつくっているし、「栄枯盛衰」ってコトバも使っているもんな、本当はわかってんだよな人間は。
そう、アタマでは分かっているのだけどもさ、なんかずーっとこのまま続いていくと捉えてしまいがちなんだ。何かきっかけがないと、なかなか気付けない。
きっかけがあったから、ここんとこ騒いでいるのか!君は。
うん、そう。じつは昨日お別れをしてきた。つい最近まで元気にお話していた方なのに、本当に急に旅立たれてしまった。未だ現実として受け入れられない。本当は【いつか誰しもが必ず迎える事】だってわかっているはずなのにね。
始まりと終わりはセットなんだ。地球の摂理はそうなっている。
今回「いのち」についてまず考えたのだけど、これは何事にもいえる事だよね。出会いも別れもそう。さっきほひが言ってたように、栄枯盛衰もそうだよね。
そう、ずーっと永遠に栄え続けるということはない。それは歴史が教えてくれている。どんなに栄えた国でも政権でも、必ず衰えて終焉を迎える時が来る。永遠に勝ち続けるスポーツ選手もいなければ、永遠に売れ続ける商品もない。
地球はそういう〈しくみ〉になっていると理解できると、いらん執着がなくなってよりスムーズに生きられるようになるのかもしれないね。
そういう事だな☆
〈引き際〉って実は、始めるときより大切だなって思うんだ。「やめる」ほうが始めるほうより、難しかったりする。どうしても人間、特に成功した経験には執着しちゃうところあるからね。どう考えても「終焉をむかえている」とか「ピークアウト」のタイミングを迎えているのにしがみついていると、ロクな事にならないし何よりかっこ悪い!
百恵ちゃん、安室ちゃん、カッコイイ☆
ほんとそう!今回のことわざ、どこぞの大統領に伝えたい。色々事情はあるかもしれないけど長期政権にしがみついて、他国を攻撃するなんて・・・結果、自身の首を絞めることになるのではないかな。
【始めあるものは終わりあり】これをちゃんと理解してるひとは、引き際の見極めもできるんだよな☆
昨日お別れした方、本当に急な告知であったにもかかわらず、取り乱す事もなく、家族や周りの人たちに感謝の言葉を伝え続けていたの。ご自分の身体本当にしんどくて辛かったはずなのに。家族になるべく負担がかからないような提案をしたり、最後まで気遣いと優しさに溢れていて・・・それはもう本当に見事で、そして永眠されているお姿も生前と変わらずとても美しかった。私もこうありたいなって思ったよ。
さては引き際考えているな、君。
EXITはね。
著者について
黒須 貴子(くろす たかこ)
https://tempurayama.com/
数々のアルバイトや専業主婦などを経て、消防設備の会社を設立。下請けからの脱却、女性消防設備士の登用など、難題に直面してきた経験をシェアして生かせる〈社長峠の茶屋〉を始める。学生時代はパンクロッカー、現在はヴィジュアル系のキャンサーサバイバー。