「日本一高いポスティング代行サービス」を謳う日本ポスティングセンター。依頼が殺到するこのビジネスを作り上げたのは、壮絶な幼少期を過ごし、15歳でママになった中辻麗(なかつじ・うらら)。その実業家ストーリーに安田佳生が迫ります。
第106回 経営者8年目、今が一番楽しい

というのも、会社の舵取りはもちろん私が担っていますけど、私自身は普段から周りに助けられているタイプの経営者なんです。優しくて頼りになるメンバーに支えてもらっているから、全然へっちゃらなんです(笑)。

ええ、まったく孤独じゃない(笑)。以前の対談でもお話しましたけど、経営者が孤独を感じてしまうのって、たぶん会社が傾き出してからなんじゃないのかなと思っていて。幸いなことに私はそういう経験を一度もしていないので、こんなに元気でいられるのかもしれません。

それで言うと、30代前半まではプレッシャーの方が大きかったですね。自分の舵取り1つで部下の子たちを路頭に迷わせてしまう可能性があるんだと考えると、ものすごい重圧で。経験が浅かったこともあって、あれこれ大きなトラブルにも見舞われましたしね。

大きなトラブル…あぁ、あれですか、池の中にチラシを捨てられちゃったこととか?(笑)

そうそう、それです!(笑) でもああいう経験をしたことで、ちょっとやそっとのことでへこたれなくなりましたよ。起きてしまったことは仕方がない。じゃあどうすれば迅速に解決できるのかを一番に考えて、誠意を持って対応しようと。

そうなんだと思います。…いや、歳を重ねるにつれて周りを頼れるようになったからかもしれません。昔はそれがすごく下手だったんですよね。というのも私、自分で言うのもなんですが、昔から何の仕事をしても割とそつなくこなせてきたんですよ。

ありがとうございます(笑)。でもその弊害として、他人を頼ることができなかった。誰かに任せてうまくいかなかったら困るし、そもそも自分でやるほうが早いやんって。だからマメノキカンパニーを設立して3〜4年ほどは私も1スタッフとして現場にガッツリ入っていました。

そうなんですよ。1から10まで何でも自分1人でやってきた人が他人を頼るのって、ものすごく難しい。本当にうまくやってくれてるのかなってずっと気になっちゃうし(笑)。でも勇気を出して頼んでみたら、すごくスムーズにやってくれたんです。

仰るとおりだと思います。もし私が未だに広告の現場に足を突っ込んでいる状況だったら、『コビトベニエ』も絶対やれていなかったと思いますし。私が手放した仕事を会社の子たちがやってくれるからこそ、私も新しいことができる。そう考えると、「皆で会社を作っているんだ」ということを実感できますね。

それこそ最初の頃は、単月でちょっと赤字になっただけで大騒ぎして、「あかん、もう終わりや」くらいに思ってましたけど(笑)。今は「先行投資も時には必要なので、せめて通年で見よう。一喜一憂する必要はない」
対談している二人
中辻 麗(なかつじ うらら)
株式会社MAMENOKI COMPANY 専務取締役
1989年生まれ、大阪府泉大津市出身。12歳で不良の道を歩み始め、14歳から不登校になり15歳で長女を妊娠、出産。17歳で離婚しシングルマザーになる。2017年、株式会社ペイント王入社。チラシデザイン・広告の知識を活かして広告部門全般のディレクションを担当し、入社半年で広告効果を5倍に。その実績が認められ、2018年に広告(ポスティング)会社 (株)マメノキカンパニー設立に伴い専務取締役に就任。現在は【日本イチ高いポスティング代行サービス】のキャッチコピーで日本ポスティングセンターを運営。
安田 佳生(やすだ よしお)
境目研究家
1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。安田佳生事務所、株式会社ブランドファーマーズ・インク(BFI)代表。