新年あけましておめでとうございます。
おめでとうございます。
おめでとうございます。
安田佳生のゲリラマーケティング、ナビゲーターの栃尾江美です。
新年の抱負は今年も天真爛漫に過ごしていきたいです。金子亜佑美です。
新年の抱負は・・・特にありません。安田佳生です。
私も新年の抱負言っていいですか?
お願いします。
どうぞ。
次男の卒乳後に3キロ太ったままなので、それをちょっと削ぎ落としたいと思います。
はい。
はい。そんな太ってないけど。
じゃあ、正月の質問を。
はい。正月一発目の質問は30代無職の方からいただいています。いつも役に立つお話ありがとうございます。私は今年の4月から無職となり、好きなことだけをして人生を謳歌している者です。20代の頃から「人と同じ人生は嫌だ」という思いがある反面、人と違う人生を歩むことに不安や恐れなどがあったことから、うだつが上がらない日々を過ごしてしまいました。ここ5年ほど幸せについて考え続け、「幸せとは比べないことだ」という結論に至りました。みなさんにとって「幸せ」の定義とは何ですか?どうぞよろしくお願いいたします。ということです。
これは金子さんからの質問ということで。
無職じゃない(笑)
あ、無職じゃなかった?
無職じゃないよー!(笑)
無職じゃなかったんだ。オタベは無職ですね。
オタベは無職です。私に生かされてるハムスターの名前ですね。
なるほど。はい、じゃあお願いします、幸せとは何か。
幸せの定義っていうことについて言えば、私は日々の小さなことの積み重ねだと思っていて、ちょっと嬉しいこととかが幸せに感じるので。
例えばどんなことですか?
例えばなんだろう・・・。
はい、時間切れです(笑)。じゃあ、栃尾さん。どうですか?「比べないこと」とおっしゃってますけど。
あ、そうそう、何かで聞いたんですけど、仏教の悟りの一番最後、つまり「悟る直前の最後の最後まで人とは比べてしまうものだ」みたいなことをちょっと読んだことがあって。
ってことは、ブッダさんも最後の最後まで他のキリストとかと比べて「負けてるぞ」みたいな?
違うんじゃないですか(笑)。でも、相当難しいっていうふうに聞いたことはあります、比べないっていうのは。悟りの最終段階だと聞いたことがあって。だから、本当に比べないことができるんであれば幸せかもしれないなと思いました。私が普段思っているというか目指しているのは、フローっていうか・・・ゾーンとはまた違うんでしょうね、ずーっと砂場でお城を作ることがよく例えられるんですけど、とにかく夢中で何かをやっている時間を増やす。
ほぉ、それが幸せと?
私はそこに近づいていくことが一番幸せじゃないかなと思っています、なんとなく。
なんか分かるかも。
でも、この人は20代は人と同じが嫌だけど人と違うことをする勇気がなかった。今は平気になったってことなんでしょうね。
すごい気になりますね。
ついに比べない境地に30代にしてこの人達したのかもしれないですね。
すごいっすね。
でも、さっきの砂場とかの話でね、夢中なことで、例えば「比べない」っていうことで言ったらですよ、無人島で1人で黙々とそれをやり続けるのと人がいる状況でやるのと一緒っていうことになるじゃないですか。
比べなかったら?
自分が例えば木の人形を彫り続けるのがすごい好きだとしたら、べつに無人島でも幸せになれるっていうことなんでしょうけど、僕はやっぱり人と比べないっていうのはなかなか難しい気がしてですね。例えば栃尾さんも自分の子どもがよその子よりもちょっと秀でて足が速いとかになってくると、「よその子のクソガキに勝ったわよ」みたいな。
安田さん、今悪い顔してますよ(笑)
やばい(笑)
めっちゃ悪い顔してます(笑)
そういうのないですか?
もちろんありますよ。私はだから悟りの境地には全然達していないのでめちゃくちゃ比べますし、嫉妬しますし、羨ましいし、人より優れていたらやっぱり優越感を感じるし、それは全然ある。でも、それがないほうが幸せなんですかね。
幸せにも色んな段階があると思うんですけど、本当このブッダさんの「比べない境地の幸せ」は、僕はもはや幸せとかじゃないと思うんですよ。
うん、なんかそんな気がする。
それを「ブッダ君もついに幸せになったな」なんて言うのはちょっとおこがましいっていうか。幸せっていうのは肉体を持っている我々が「なかなか今日もハッピーだね」っていうとこなんで、やっぱ比べないと。「人よりちょっと俺は仕事できるよ」とかいうのがやっぱ必要なんじゃないのかなと思うんですけどね。
ああ、思う。
「そういうものによって幸せを感じるんじゃないか」ってことですか?
はい。
比べることによって?
例えば黙々と幸せな作業をするとしても、その作業をしてる自分をちょっと「満員電車に揉まれているサラリーマンと比べて私は幸せだ」とかですね。
私は比べることから解放されるから良いと思ってます、夢中になると。比べるっていうのは心情的に苦しいので、できれば比べないで生きたい。で、夢中になってるときだけは比べるって気持ちを忘れられる。好きなことに没頭してるときはそんな感じですね、私のイメージは。
それはつまり、生まれてこの方、例えば「無人島に生まれて“比べる”っていう概念がない人の没頭」と「普段比べちゃうからこそ今没頭してて私は幸せだった」っていうのとはちょっと違うような気がするんですけど。
でも、没頭してるときってそんな冷静になってないですよね、多分。
没頭してたときをあとで振り返って幸せなんじゃないんですかね。
まあ「幸せ」って言葉を使うときはそうだと思います。
「没頭してるときは幸せ」とかってあんま感じないような気がするんですけど。
思ってないですね。
たしかに。
思ってないけど、その時間がやっぱ人生の中で多いほうが幸せなのかなと思ってるんですけど。
あ~難しい。
でも、何と比べるかっていうのによるじゃないですか。
たしかに。
例えば人間って本当に人間としか比べないじゃないですか。しかも身近にいる人。例えば「猫に100メートル走で負けた」みたいなのは全然悔しくないじゃないですか。
ああ、悔しくない。
ねえ。金子さんだったら「ハムちゃんのほうが可愛い」っていうのはべつに悔しくないでしょ?「私よりハムスターのほうが可愛い。チキショー!!」みたいな。
嫉妬するみたいな(笑)
「10円ハゲ作ってやろうか」とか、毛を抜いたり、そんなことしないわけですよね。
チキショーって(笑)ないですね。
やっぱ、だから人は人と比べて、しかも近い人と比べるじゃないですか。例えば「ウサイン・ボルトと比べて走るのが遅い」っていうのは全然ストレスになんないじゃないですか。だから「自分と同じような近い人よりちょっと下」っていうのが一番悔しいっていうか。逆に言うと、自分よりものすごい遠いアフリカの飢え死にしそうな人と比べて「私は幸せだ」っていうのも、これも難しいんですよね。
そうですね。
それはたしかに違う。
身近な人で、ちょい自分より不幸、ちょい自分より弱っちいっていう人と。僕、昔「下を向いて生きよう。」っていう本を書いたことがあるんですけど、幸せになる近道は自分の身近にいる人のちょい下な人と仲良くなり、ちょい上の人と一切縁を切るっていう、これが一番幸せなんじゃないのかなっていう(笑)
やべえ(笑)
だから「比べない」っていうのはどうなんですかね。「比べないことが幸せである」とも言えるんですけど、なかなかそれは30代の方にはまだ早いんじゃないの?(笑)
早いか(笑)。あと、過去の自分と比べるとかありますよね。
ああ、「人と比べるな」っていうやつね。ありますよね。
よく言う、そういうのは。定番的な。
でも、過去の自分に負けることってよくありますからね。
まあそうですよね、長年生きていれば。
僕なんて過去の自分のほうがずっと人間としてまともだったなって思いますよ。
そうなんですか!?
はい。だんだんと嘘つきになっていきましたからね、僕は(笑)。あ、ということで、もうお正月の番組が終わろうとしてますが。じゃあ、今日のおまとめを。
お願いしまーす。
亜佑美ちゃんは何て言ったんですか?日々の小さな幸せの積み重ね?
そうです。
私は没頭するのが、あと「比べる」をやっぱ手放すことが結構幸せに関係あるかなと思ってるんですが、安田さんは「自分と近しいちょっと下を見るとずーっと幸せに生きられるよ」ということで。
そういうことです、はい。ということで今日は以上とさせていただきます。どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
*本ぺージは、2018年1月3日、ポッドキャスト「安田佳生のゲリラマーケティング」において配信された内容です。
ポッドキャスト番組「安田佳生のゲリラマーケティング」は毎週水曜日配信中。