第322回「ドン・キホーテの事業継承」

この記事について

2011年に採用ビジネスやめた安田佳生と、2018年に採用ビジネスをやめた石塚毅による対談。なぜ二人は採用ビジネスにサヨナラしたのか。今後、採用ビジネスはどのように変化していくのか。採用を離れた人間だけが語れる、採用ビジネスの未来。

前回は 第321回「こじはるモデルの凄さ」

 第322回「ドン・キホーテの事業継承」 


安田

ドンキホーテ創業者の息子さんが取締役になりました。次期社長を前提として。

石塚

若干22歳ですね。

安田

創業者の安田隆さんと食事をご一緒したことがあるんですけど。すっごい迫力でした。

石塚

でしょうなー。

安田

どこかの世界のドンみたいな方でした。その創業者の安田さんが75歳で息子さんが22歳。だから53歳の時のお子さんですね。

石塚

安田さんも近いですよね。

安田

近いです。うちは55歳の時の子供です。石塚さんはこの報道を見てどう思いますか。

石塚

最初にこの報道に接した時は「なんだ結局息子を社長にすんのか」って思ったんですけど。

安田

けど?

石塚

だけど創業者の安田隆さんのコメントを注意深く見ると、要するに「創業家としてドンキホーテグループに関わっていく」と言ってるんですよ。

安田

つまり一族経営ってことですか。

石塚

創業家としてまず取締役を送り込んだ。「承継もいずれこの男にさせますよ」っていうことの意思表示なのかなって思う。

安田

それはもう明確ですよ。

石塚

つまり安田隆さんの終活が始まってんだろうなって思いました。

安田

もう75歳ですからね。お金もたくさんあるでしょうし。残りの人生を思いきり楽しんだ方がいいです。

石塚

実は最初の奥さんとの間に長男さんがいるんですよ。ひとり息子だったかな。

安田

その人は取締役ではない?

石塚

長男さんは巨額な詐欺事件に巻き込まれた人で。

安田

へー。

石塚

10億単位でやられていて。結果的に父親が尻を拭ってるんです。

安田

10億単位の尻が拭えるところがすごい。

石塚

ドンキの安田さんからしたら10億は1000万ぐらいなんでしょうね(笑)

安田

桁違いですね(笑)

石塚

その反省を今回は活かしてるような気がします。

安田

取締役になった息子さんは鞄持ちを24時間やらせてしっかり仕込んでるみたいです。それにしても22歳は若いですよね。

石塚

要するに安田家は株を放したくないってことなんでしょう。「株式は家族に相続する」という強烈な意志表示というか。

安田

でも相続でいちばん揉めるパターンですよ。前妻との間に長男がいるって。

石塚

おっしゃる通り。

安田

この息子さんに全ての株を譲渡するんだったら遺言書を書いておかないと。

石塚

ほんとおっしゃる通りで、大塚家具と同じパターンになる可能性があります。節税対策のために株式散らしたが故に長女に噛まれちゃって。

安田

仮にこの息子さんに全株式を相続するとして、相続したら本人のやりたい放題ですよね。

石塚

そうなりますね。

安田

社長になりたきゃなれるし。取締役も辞めて配当だけ受け取るという選択肢もあり得ますよね。

石塚

あり得ますね。創業家としてちゃんと上がりだけ取っていくっていう。

安田

創業者としては息子さんを社長にしたいんですかね。

石塚

でしょうね。お金を残したいなら株を売却する方が早いし。

安田

個人的には「家族にはお金を残し、事業は従業員に残す」というパターンが美しいと思うんですけど。この息子さんに社長適性あるかどうかも分からないし。

石塚

分かりませんね。まだ22歳ですから。

安田

だけど「自分がやる」って宣言すれば社長になれちゃうわけで。

石塚

さすがに20代でグループの総帥は厳しいでしょう。そんなの誰も受け止めないってのが現実だと思いますよ。

安田

創業者の息子というだけでは無理ですか。

石塚

難しいでしょう。これは成功経営者の宿命ですよ。最後は自分の会社をどう引き継ぐかっていうのを決めなきゃいけない。

安田

仮に息子さんが継いでうまく行かない場合はどうなるんでしょう。

石塚

外資系のでっかいとこがパクっと買収して終わりってなるかもしれませんね。一寸先は闇ですから。

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石塚毅
(いしづか たけし)
1970年生まれ、新潟県出身。前職のリクルート時代は2008年度の年間MVP受賞をはじめ表彰多数。キャリア21年。
のべ6,000社2万件以上の求人担当実績を持つ求人のプロフェッショナル。

安田佳生
(やすだ よしお)
1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。

 

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