第167回「ヤパンの国(第9話 完結編)」

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

前話(第8話)のお話。

10人は新しい国づくりの話を始めた。議論からはビジョンの共有ができないとみたアナンは一緒にご飯を作ろうと提案。10人は自然とチームワークを発揮し、料理から片付けまでを終わらせた。そこに国づくりの原点があることを皆で体験したのだ。


アナンは皆の心が一つになったとわかった。議論では一つにならなかったのに、食事の準備から調理といった共同作業を通して、ビジョンが共有できたのだ。

アナンはお茶を飲みながら、
「僕たちは体験してこなかった。生まれた時には、すでに用意されていたから。先人が築き上げてくれた仕組みに技術に道具。それらがどうやって生まれたが知らないので、どう関連しているかわからない」

センネンが解説を入れた。
「アナンのいう関連とは、共助のことだね。それぞれの機能は助け合っている。助け合うというと弱っちく感じるが、助け合えるってことはゆだねる強さがあるってことなんだよね」

「そう武術も同じ。相手があって始めて武術を披露できる。だから相手と助け合って戦うのだ」武術マスターのゴラが口を開いた。

法律の天才パリがいう。「法律ってルールのことだけど、そのルールを守る最終責任はどこにあるかを決める指針なんだよね。その責任を誰か一人に背負わせるのではなく、皆で公平に分けながら、共存共栄するために法制度はある。でも訴訟問題が起こらないようにと防衛のために使われ、さらには相手を打ち負かす攻撃のために使われている。誰が正しいか勝敗の決着をつけるために」

続けてダールタが諭すようにいった。
「人が正しいと信じているほとんどは外から与えられたもの。その正しさが自分と一致してしまい、自分を守るごとく正しさを守ろうとする。守るために攻撃もする。正しさは外にあるんじゃなくて、自分の実体験にあるんだ。実体験にもとづく正しさに気づくことを“目覚め”っていうんだよ」

疑いの天才ケンレンは目を見開きながら、「僕が人を疑うのは、その人でなくて外から与えられた正しさなんだよ。外の正しさに支配されているってすぐにわかっちゃう。それが気持ち悪くなって、疑いの目をむけるんだね」

弁論の天才ラニシがいつもと違って短い言葉でいった「僕は議論をしたがるのは、共同作業をしたいからなんだ。一緒に熱く語り合う、意見をぶつけ合うという体験。どっちが議論に勝つかじゃなくて、共同作業という体験が目的なんだよ」

アナンはまとめるように言った。
「皆で一つ一つの体験を通して、そこから得られた学びをもとに国を作ろう。この10人ならきっとできるよ」

10人は家を作り始めた。衣食住、すべてを一緒に作ってみよう。その体験をいつも国づくりの原点にしようと熱く誓い合った。

(終わり)
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知識人とかインテリは日本では馴染まない。コンサルタントも毛嫌いされる。それは、日本語が実体験と関連しているから。日本語にはそういった特殊性がある。この続きはfacebookグループの「場活王」にて。

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著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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