泉一也の『日本人の取扱説明書』第109回「ご都合主義の国」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第109回「ご都合主義の国」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

「都合のいいことを言うな!」とよく親父に叱られた。自分に都合にいいように物事を捉える。これは自分を中心に世界が回っているという傲慢な考え方であるというのだ。親父に叱られていつも不服であったが、今自分が親父なってようやくわかった。そこに隠された言葉を。

「都合のいいように捉えるのは自由。だけどそれを人に言うな」ということ。

この世界は自分を中心に世界が回っている。なぜなら世界を認知しているのは自分だからだ。都合がいいように捉えるのはごくごく自然のことであり、ご都合主義は自分をこの世界の主人公にしているのである。もし自分が中心でなければ、自分は脇役でありエキストラ。脇役となった瞬間、全ては誰かの采配で動いていることになり、私はあくまでもその誰かの采配に「従」な存在となる。

日本人は主人公は自分だと知っている。自分に都合のいいように考える文化を何千年もかけて育ててきた。よって日本は絶対神を持つ宗教で国を治めることができなかった。一時期天皇をそういった絶対的存在にしようとしたが、失敗に終わった。

お寺は先祖を大切にする場であり、神社は自然を敬う場である。日本の宗教は個々の主人公が集まる場にすぎないのである。一方、キリスト教では主は神の子イエスであり、自分はあくまでも従であるが、絶対的なイエスを心の中に持つことで主になれる。これはこれで理屈が通っている。

ご都合主義の日本人は、仏教も神道もキリスト教もご都合に合わせて使い分ける。自分が主人公なので場に合わせて使い分ければいい。そこには自分を従属させる絶対なるものはない。日本人の多くは絶対的なものに自分をよりすがっている人を見ると「気持ち悪い」と感じてしまうのはそこから来ているのだろう。

「都合のいいことを言うな」という言葉に込められた意味は、ご都合主義は他人に対しては「傲慢さ」に映るので、嫌な気持ちにさせ誤解もされるよという教えなのである。「記憶にございません」などと都合のいいことを言って言い逃れをする政治家を見ていたらわかるだろう。なんとも嫌な気持ちになり、この政治家は人としてどうなんだと思ってしまう。

実際、親父に「都合のいいことを言うな」と叱った真意を聞いてみたら全然違うかもしれない。が、日本人らしく都合よくとらえてみた。そして「言うな」と言われたので「書いて」みたのである。

ご都合主義が日本人の強みだったから、世界のあらゆる宗教に文化に食べ物を吸収できた。そしてお酒をのむ理由も歌にしてしまうのだ。「1月は正月で酒が飲めるぞ♪、2月は豆まきで酒が飲めるぞ・・」と日本全国酒飲み音頭を口ずさみながら、都合よく年がら年中お酒を飲むのである。

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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