企てのない企画書は、単なる分厚い見積書に過ぎない。
目次、市場調査、他社との比較、商品説明など、
確かにそれらしき事は書かれている。
だがそれも突き詰めれば、見積りに対する補足説明でしかない。
ビジネスの世界で日々つくられる企画書の大半は、
企画という言葉とはほど遠い、単なる見積書、
あるいは単なる商品説明書なのである。
当たり前の話だが、企画書には企てが必要だ。
そう来たか!という意外性や、
その手があったか!という斬新さ。
相手の予想を超える企てが、驚きをもたらし、
ワクワク感を生み出し、人を巻き込んでいくのである。
企てこそが企画書のコアなのだ。
何の企てもない企画書を出しておきながら、
「価格で他社に負けました」と
敗戦の理由を分析する現場の社員。
だがそれは、彼らだけの責任ではない。
会社の事業そのものに企てが無いから、
このような結果になるのである。
企てのない企画書が単なる見積書であるように、
企てのない会社は、単なる営利追求団体である。
仕入れ価格を抑え、人件費や管理費を抑え、
少しでも多くの利益を会社に残す。
そのような方針の会社で、
企てのある企画書などつくられるはずがない。
そんなものを考えている暇があったら、
もっと新規顧客を開拓しろ、営業機会を増やせ、
クロージングを強化せよ、と上からの圧力がかかる。
結局現場は単なる見積書を提出し続けることになり、
顧客は価格で選ぶようになる。
もちろん、現場の工夫によって、
多少の違いをつくり出すことは可能だろう。
だがそれは、小さな違いに過ぎないのだ。
顧客に選ばれる決定的な差。
それを生み出すには、会社そのものに、
あるいは事業そのものに、企てがなくてはならない。
そんな会社があったのか!その事業で来たか!
と驚かせ、人を巻き込んでいく企て。
そこが全ての始まりなのだ。
まず会社があり、事業があり、社員を雇い、働かせる。
そのような経営では、
小さな会社は生き残っていけない時代なのである。
これからの経営は、まず、企てから始めなくてはならない。
「こんな面白いことを思いついた!」という企て。
その企てに共感する人が集まり、
企てを実行するために事業が生まれ、商品が作られていく。
企てのある商品を広めるために、
現場の人間は企てのある企画書をつくる。
その企てを見た顧客が驚き、面白がり、
企てに巻き込まれていく。
全ては経営トップの企てからスタートするのである。
「世界の情報格差を無くす」という壮大な企てもあれば、
「世界一のコースターをつくる」という
ニッチな企てもあるだろう。
要はその企てを、面白い!素晴らしい!一緒にやりたい!
と言ってくれる人がいるかどうか。
そこが一番重要なのである。
そんなことで商売が成り立つのか、
と疑いたくなるかもしれない。
だがこれからビジネスは、
そういう順番でしか成り立たないのである。
企てのない会社、企てのない経営、企てのない商品。
それらは企てある新参者によって、駆逐されてしまうだろう。
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