考えることを考える

世の中バカばっかりだと嘆く人がいる。
レベルが低い人を見下す人もいる。
私はそれを愚かだとは思わない。
ただしそこに、きちんとした基準があるのなら。
あなたにとってバカとはどのような存在なのか。
何をもってレベルが低いと定義しているのか。

その答えが「ほほう」と
納得のいくものであるのなら、
私はその人を認めるだろう。
だがそこに明確な基準がない場合
「あなたも同類である」と言わざるを得ないだろう。
バカは誰がみてもバカだ。
低レベルは誰がみても低レベルだ。

残念ながら人を見下す人の9割は
この類である。
つまり同類。
つまりバカで低レベル。
本人は怒るかもしれないが、
事実なのだから仕方がない。
絶対的なバカがいると思い込んでいる時点で、
その人間はバカだ。

残り少ない人生において、
私の願いは時間を無駄にしないこと。
より具体的に言うならば、
無駄にならない人との時間を過ごすこと。
それは愛する人との時間であり、
思考する人との時間だ。

世の中には、考えている人と、
考えていない人がいる。
それが私の実感だ。
私は残り少ない人生を、
考えている人との対話に使いたい。
だがここにひとつ、大きな問題がある。
それは考えている人の定義である。

何ひとつ考えずに生きている人は、
この世にひとりもいない。
すべてのことを考えて生きている人も、
ひとりもいない。
では考えている人とはどのような人なのか。
考えていない人とはどのような人なのか。
この境目を定義しないことには、
私は考える人とは出会えないのである。

私にとって、
考えるとはどのような状態なのか。
それを考える。
私が対話したいのは、
私と同じ疑問を持って生きている人。
その疑問について、考えずにはいられない人。
自分と同じ疑問に対して、自分よりも深く、
自分とは違う角度で考え、
自分とは違う答えを持っている人。
それが私の求める人だ。

もしもバカと仕事をするのが嫌なら、
自分と同レベル以上の人と付き合いたいのなら、
考えなくてはならない。
私が定義するバカではない人、
私が定義するレベルの高い人、
それはどのような人なのか。

知能指数が高いとか、
論理的思考力が高いとか、
コミュニケーション力が高いとか。
そういう定義しか出来ないのなら、
自分もバカなのだと認めたほうがいい。
それは他人が定義した、
ある状態における優秀さの条件に過ぎない。
自分の定義を持たない人は他人を見下せない。

 


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1件のコメントがあります

  1. 「私は残り少ない人生を、考えている人との対話に使いたい。」は、同感です。
    安田さんの考える人とは、
    私と同じ疑問を持って生きている人。
    その疑問について、考えずにはいられない人。
    自分と同じ疑問に対して、自分よりも深く、
    自分とは違う角度で考え、
    自分とは違う答えを持っている人。
    それが私の求める人だ。
    また、知能指数が高いとか等の他人が定義した、ある状態における優秀さの条件に過ぎない等は、目から鱗でした。感謝です。
    そこで、自分なりに「考えを持っている人」を考えてみました。
    例えば、自分の課題や目標に対して、実績や成果を出している人の体験や考え方、知り合ってその生き様にあるのではないかと思いました。もう少し、このテーマ自分なりに深く考えてみます。
     取り急ぎ、コメントを送信するとともに、気付きを頂きまして、ありがとうございます。
                          以 上

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