人生のシナリオ

三つ子の魂百まで。
三歳ごろまでに人格や性格は形成され、
それは百歳まで変わらない、という格言。

性格がいつどのようにカタチ作られるのか
私には分からない。ひとつ言えるのは、
人生のシナリオはある年齢までに
ほぼ決定してしまうという事実である。

それは人生のベースとなる習慣が確定するから。
子供に無限の可能性があるのは、
まだ習慣が決まっていないからである。
ネガティブな赤ん坊はいないと言われる所以が
ここにある。

歩くことを早々に諦めてしまう子がいないのは、
まだ諦めるという習慣が身についていないからだ。
人は生きていれば必ず習慣に支配される。
やること・やらないこと・考えること・考えないこと。
それは成人になるずっと前にもう決まっているのである。

自分の手帳を見てみよう。
やることが決まっている日もあれば
決まっていない日もあるはずだ。
だがどんなに暇な日でもやることはもう決まっている。
なぜなら人には習慣があるから。

スケジュールは空いていても習慣は空いていない。
それが現代人の姿である。
忙しい日は忙しいなりに、暇な日は暇な日なりに、
いつも通りの時間が過ぎていく。

行きつけの飲食店や美容室を
作り出しているのも習慣である。
行きつけを変えると、交通手段、移動時間、
オーダーの仕方、予約のルールなど、
すべてが変わってしまう。

人にとって習慣を変えるのは
想像を超える重労働なのである。
気がつけば何年も、おなじみの店で、
同じ商品を頼んでいる。
そうやって人生のシナリオは粛々と進んでいくのである。

三日坊主とは三日で新しいことをやめてしまう行為だが、
見方を変えれば元の習慣に戻ってしまう行為とも言える。
長く親しんだ習慣に戻るのはとても楽なのである。
だが人生を変えたいのなら、
シナリオを書き換える以外に方法はない。
無意識にやっている思考と行動のメニューを
書き換えるのだ。

何をするか、何をしないか、
何を考えるか、何を考えないか。
この線引きを変えない限り、絶対に人生は変わらない。
とくに重要なのは意識せずやらないことと、
意識せず考えないこと。

そんなことをやってもしょうがない。
そんなことは考えるまでもない。
自分でも気がつかないうちに、
この習慣が刷り込まれているのである。
人生はやったことの結果だと言われるが、
それは真実ではない。
人生はやらなくなったこと、考えなくなったことの、
結果なのである。

 

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