あるべきベーシックインカムの形

世界中の人を金持ちにすることは不可能である。全員が金持ちになったらお金の価値が下がるだけ。新たな基準の下に新たな貧富の差が生まれるだろう。世界中の人が自分の個性や特性を発揮できる生き方をする。これは可能である。教育とは本来、自分に最適な居場所を見つけるための手段である。収入を増やすためのスキルを身につける手段ではない。この最初のボタンの掛け違えが、多くの人から幸福感を奪っている気がしてならない。

人はひとり一人違う。その人に最適な「個性・能力の発揮方法」も当然のことながら違う。自分という個性や特性はどうやったら最も人の役に立てるのか。人に喜んでもらえるのか。得意なことで人の役に立つことが仕事の基本なのである。金を稼ぐことは仕事の目的ではない。金は仕事をうまく循環させるための手段に過ぎない。

しかし現代社会でそんなことを言おうものなら「変な人」「ちょっと頭のおかしい人」と見られてしまう。残念ながら本質が見えなくなっている人が多い。資本主義はその末期に来ているように見える。なんと日本では8割に近い人が我慢しながら仕事をし、生活のためにお金を稼いでいる。生産性が落ちていくのも当然の話である。

一人ひとりが個性や特性を発揮して人の役に立つことをする。それでもきっと貧富の差はできるだろう。どれだけ多くの人に役立てるかは生まれ持った能力によって異なるからだ。ゆえに共産主義的な配分はまだまだ現代人には受け入れ難い。そこでベーシックインカムである。それぞれが最大限に個性と特性を発揮できる仕事をし、それに対して一律の額を支給する。

全員が適職に就けば生産性は今よりはるかに高くなるだろうし、ベーシックインカムだけでも十分生活できるようになるはずだ。働かない人にお金を配るのではなく、最も適した仕事をやってもらう報酬としてベーシックインカムを払う。並外れて大きな価値貢献をした人には多くの報酬を上乗せすればいいし、もっと稼ぎたい人は自由に稼げる仕事をすればいい。

これが人類にとって最も理想的で実現可能な未来ではないだろうか。そしてこれは会社でも実現することができる。一人ひとりに適した働き方を提供し、ミニマムの報酬を全員に一律で支給し、大きな価値をもたらした人にはプラスアルファを上乗せする。自分の特性を最も活かせる仕事で人に喜ばれ、人から必要とされたい。それが人間の本質なのである。

 

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