不可能の種類

当たり前の話だが人にはできる事とできない事がある。生身で空を飛ぶことは出来ないし30分息を止めることも出来ない。では空を飛ぶことを諦めるのか。海に潜ることを諦めるのか。ここが人類の知恵であり、諦めの悪いところであり、他の生物を凌駕した理由でもある。出来る方法を考えようとするのだ。

何とかして壁を越えようとする。不可能を可能にしようとする。それは人類の飽くなき探究心であり他を寄せ付けない成長意欲でもある。努力することは素晴らしい。それが失敗に終わろうとも無意味ではない。私はそう思う。ただし経営者はここで冷静に考えねばならない。努力とは何なのかということを。

努力の目的は3つに分かれる。1)努力そのものが目的であるケース。2)過去の自分と比較した成長というケース。3)不可能を可能にする事が目的であるケース。努力する事が目的なら問題はない。だが経営者はこれではいけない。では過去の自分と比較した成長はどうだろう。一見正しいことに思える。

これを潜水に例えてみよう。2分しか潜れなかった人が10分潜れるようになる。これは立派な成長である。だが海を自在に潜るという目的を達成したとは言い難い。酸素ボンベを背負って潜ったり、潜水艦まで作ってしまったり。これこそが第3の努力であり、経営者が取り組むべき努力なのである。

昨年よりも売上が伸びている。サービスの質が上がっている。過去の自分と比較する成長は間違っていない。むしろ他者と比較せず己の価値を高めることには大きな価値がある。しかし残念ながらこの延長ではイノベーションは起きない。どんなに高くジャンプする練習をしても飛行機は作れないのである。

不可能を可能にする。そうやって人類は数々の奇跡を起こしてきた。現代社会に生きる私たちはその奇跡を当たり前のものとして生活している。だが出来ていないこともたくさんある。タイムマシンは出来ていないし、錬金術で金を作ることも出来ない。瞬間移動も不老不死も出来ない。出来ないことばかりだ。

出来ないことが出来るようになる。これがイノベーションの基本。だが出来ないことにも種類がある。「絶対に不可能」と「工夫すれば意外と可能な不可能」である。成功する人はこの判別がとても上手い。絶対に不可能なことには手を出さない。工夫すべきところに全力を注ぐ。そこに圧倒的な差が生まれる。

 

 

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