時間と成果

時間に対して報酬を払うのか。
それとも成果に対して報酬を払うのか。
昔から議論され続けているテーマであり、
なかなか答えが出ないテーマでもある。

「成果が出てないから報酬は払えないよ」
と言えれば経営者は楽だろう。
一方で「働いた時間分はきちんと払え」
というのが従業員の言い分だろう。

世界的に見れば報酬は
時間に対して支払われるのがスタンダードである。
特に収入の少ない労働者層においては顕著である。
経営側が搾取しないように。
労働した分きちんと報酬が支払われるように。

労働者保護が時間型報酬の基本的な理念なのだ。
だがこの傾向は収入とともに変化する。
高収入を稼ぐエリート層になればなるほど、
それは成果型へと変わる。
これは当然の帰結なのである。

能力が高く仕事をテキパキとこなす人材がいたとしよう。
普通の労働者が8時間かけて終わらせる仕事を
2時間で終えることができる。
成果に対して報酬が払われるのなら、
嬉々として素早く仕事を終わらせることだろう。

だがもし時間に対して成果が払われるとしたらどうか。
2時間で終えてしまうと報酬は4分の1になってしまう。
もしくは残った6時間で様々な雑用を
やらされるかもしれない。

経営者がこの話を聞くと皆同じことを口にする。
そういう人材はどんどん報酬が増えるのだ。
長い目でみればそれが自分に返ってくるのだと。

だが現実はどうだろう。
4倍の売上をあげる社員に
4倍の報酬を払っているだろうか。
その社員の生涯賃金は他の社員の4倍になるだろうか。
いや、ならない。

なぜならそんなことをすると
経営が成り立たなくなるから。
日本企業には赤字社員を
抱えなくてはならないという縛りがある。
どんなに仕事ができなくても
解雇できないというルールだ。

ゆえに慢性的に赤字社員を抱える企業が多い。
その報酬はどこから捻出するのか。
できる社員の稼ぎから捻出するしかない。
2割の黒字社員が赤字社員の分まで稼ぐ。
これが典型的な日本企業のパターンなのだ。

いやパターンであった。
もはやその理屈は通用しない。
人の利益まで稼いでも収入には大差がない。
自分の収入分すら稼がなくても収入は保証される。
どちらに人が流れていくのか歴史を見れば明らかである。

では経営者はどのような手を打つべきなのか。
雇用という縛られた制度から抜け出すこと。
成果に応じた報酬を支払う方法はこれ以外にはない。

 


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