163通目/安田からの返信 「ねばねばは嫌いです。が・・・」
「ねばならない」という言葉は使わないほうがいい。ねばねば人生になるから。そう教えられたことがあります。そもそも私は学校のねばねばが大嫌いでした。勉強せねば、テストでいい点を取らねば、かけっこで早く走らねば。他人から何かを押し付けられるのが嫌。そういう子供だったのです。大人になって、自分で会社をつくって、自由へ一直線となるはずでした。でも気がついたらねばねばに囚われていたのです。会社を大きくせねば、もっと有名にならねば、社員にいいところを見せねば、と。自ら嵌まり込んだねばねばから抜け出すのは、他人の強要から抜け出すよりずっと難しい。ふと気がつくと今でも「〇〇せねば」と唱えている自分がいます。
前回162目/大野「正義の奴隷化」
「ねばならなない」は人間の持つ創造性をことごとく殺す。これを例えば、企業文化に持ち込んでしまうと、最悪、家畜化になる。言わば「ねばならない」という正義の奴隷化。それ以外は排除される。それが数字だと数字をあげてからものをいえとか言う輩が出てくる。また、その「ねばならない」が数字ではなく、仮にどんなに崇高な理念だとしても同じこと。本来、崇高な理念に共鳴共感できるのならば、「ねばならない」など生まれないから。つまり、組織カルチャーにしても、個人の人生にしても「そうしたい」というゴール設定と「そうしたい」と心から願うステイトを持てるよう自分自身も含めて支援できるか?が鍵を握っているように思うんです。
ー大野より
前々回161通目/安田「やってはいますけど・・・」
生きている限り自己洗脳は解けない。ホントその通りだと思います。おっしゃるように私は「〜しなければならない」という前提を疑い、自分が何に囚われているのかを考え続けてきました。それでも分からない。それでも洗脳は解けないのです。現状(リアルな現実)の外側にゴールを置いてみる。いつかはここにチャレンジしたいですが、かなり難しいです。私も私の家族も現実世界で暮らしていて、家賃も払わなければならないし食費や電気代だってかかる。学校にだって行かせてあげたい。ここを捨てるのは本当に勇気が要ります。洗脳を解くのではなく「自分は洗脳されているかもしれない」と自覚して生きていく。それが限界なのかもしれません。
ー安田佳生より
交換日記をする二人
安田佳生(やすだ よしお) 1965年生まれ、大阪府出身。 2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち) 株式会社一番大切なこと 代表取締役 https://ichibantaisetsunakoto. com https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/