泉一也の『日本人の取扱説明書』第134回「すいませんの国」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第134回「すいませんの国」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

 

日本人の会話で、一番頻度高く使われている言葉は「すいません」に違いない。間違えてたらすいません。

・謝る時の「すいません」(ごめんなさいに代替できる)
・感謝の時の「すいません」(ありがとうに代替できる)
・呼びかけ時の「すいません」(ちょっといいですか?に代替できる)
・許しを乞う時の「すいません」(許してくださいに代替できる)

「タバコ吸う?」「吸いません」にも使われる。禁煙推進国としては、最高の言葉を持っていたのだ!と冗談はさておき、この万能の言葉「すいません」は、日本を形作っている。

言葉が思考を、思考が意識を、意識が習慣を、習慣が文化をつくるとするならば、日本では謝ること、感謝すること、呼びかけること、許しを乞うことが一色たんになった文化ということだろう。

西洋的な表現を使うと、「私は罪深く、それでも世に生かされ、人と関わることは相手の迷惑にもなりかねぬ、そんな懺悔すべき存在である」。この精神性が日本では日常生活の中で微妙に数多くある。なので、わざわざ教会という非日常の世界に行き、お祈りや懺悔といったハッキリクッキリさせた場がなくてよいのだ。

「すいません」は曖昧でわかりにくい言葉であるが、人が究極的に持つ「この世における自己とは何か?」といった哲学的・宗教的な問いとつながる言葉でもあった。そんな言葉を日常、気軽に多用する日本という国は変というか、狂の類である。

日本で一気に禁煙が進んだのは「すいません」という言葉があったからであるように、日本人が異常に自己肯定感が低いのは「すいません」という言葉があるからだろう。

「私は罪深く、それでも世に生かされ、人と関わることは相手の迷惑にもなりかねぬ、そんな懺悔すべき存在である」と、日々少しずつでも感じていたら、自然と自己肯定感が下がる。

自己肯定感が下がるということは、すでに重りを付けられているようなもので、これをトレーニングとして意識的に使えれば、メンタルは鍛えられるが、これをただの苦役と捉えていたら、精神はボロボロになる。

日本は界王星のように「自己否定」の重力が強い環境下にあるので、その重力を活用して日本とは?日本人とは?と探求すればいいのだが、それをしないままでいると、ただの疲れた人になる。

江戸も明治も修身教育を中心に、地域の伝統や文化、地域の地理を中心に勉強をした。自分→家族→家業→地域→国→世界といった学びをしたが、今は、いきなりとんで世界から学ぶ。そして疲れた中学生を増産している。明治の中学生と現代の中学生の氣の違いは雲泥の差であろう。現代人は界王拳が使えないのだ。

日本の中学校の授業には活気がない。その理由がわかっただろう。

などと、中学校の先生たちは現場で日々、頑張っているのにも関わらず、大上段からでした。ホントすいません。

2020年のコラムは今日で最後。次は2021年の新年号に。1年間ご愛読いただき、誠にすいませんでした、あっ間違えた、ありがとうございました。

 

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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