その162「猫も杓子も多様化」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「猫も杓子も多様化」

多様化してきましたよねぇ。

何を今更って感じですが、四半世紀以上前だと、今ほどの多様性は無かったかもなぁ、って振り返って思うんです。
「今、何が流行っているのか?」というトレンドやブームってわかりやすかったですよね。
例えば、ヒットしている曲はほとんどの人が聴いたことがあって、誰が歌っているのかも知っていて。
でも、今では、Aさんの周囲でヒットしている曲と、Bさんのとでは違ったりしますよね?
よく耳にするけど、誰の曲か知らないってことは多いです。

これは、ブームを牽引してきた(創造してきた)メディアが多様化してきたからかなぁ、って思うわけです。
それがテレビだけだった時代、僕らはテレビで流れる世界を真実だと信じてきたわけです。
大げさに言えばね。
テレビで「これが流行っている」「次はこれだ!」と言われれば、アーリーマジョリティやアーリーアダプターが一気に飛びつくわけです。
ところが、今では、僕らが信用している(普段使っている)メディアが多様化していて、それぞれに生態系がありますよね。
だから、かつてのような大ヒットは生まれませんが、各所で色んなヒットが生まれるようになりました。

なんでこんな話をするかと言うと、社員さんからの欠勤理由を聞いていて、「あぁ、こっちも多様化が進んできたな」って感じたからなんです。
例えば、僕からしたら、「頭痛」が欠勤の理由になるなんて思いもしませんでしたが、今では普通になっていますよね。
僕が20歳の頃(四半世紀も前ですが…)、「風邪をひいて、熱があるので休ませてほしい」と伝えたら、めちゃくちゃ叱られた時代でした(苦笑)
後々振り返ってみると、社会人として体調管理をしっかりしておらず、他人に迷惑をかけることを理解していなかった僕への叱咤だったわけですが。
まぁ、頭痛や腹痛、吐き気の類は、外傷に比べて、他人に理解されにくい辛さはあるでしょうけどね。
また、先日は、「目が充血しているので…」というのもあって、花粉症で目がすんごいかゆい僕からすると「え!?」って驚いちゃったんですが。
そのスタッフ、結局、花粉症デビューだったようで、「ようこそ、こっちの世界へ」と伝えておきました。
来年あたり、多様化がさらに進めば、僕とそのスタッフは「花粉症」を理由に休むと思います。

何でも多様化が進む世の中ですが、次はどんな多様性がやって来るのでしょうか?
多様化が進むと、ユーザーに合わせて商品やサービスのカスタマイズが活発になり、商機も増えそうですからね。
考えてみれば、昔と比べて、ビール(発泡酒含む)の種類もものすごく増えていますから、同じ様にニーズの多様化に比例して、特徴を細分化させることができる商品やサービスがあるかもしれませんからね。
・・・まぁ、僕にはそれがなにかわからないんですけどね(涙)誰か、教えて。

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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