このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
「真実を知りたいですか?」
40歳を超えてから、身体のあちこちが思うように動かなくなってきまして・・・
鍼灸院とかに行くと、先生からは「いつからこんな酷い状態になりました?」と聞かれ、「そんな酷い状態とは知らず…いつからでしょうかねぇ、もしかすると割と昔からこうだったのかも…(涙)」と答えるやりとりが鉄板です。
そして、「過去に大きな事故、例えば交通事故とかにあったことはないですか?」と聞かれるのもまた鉄板でございます(汗)
こんな風に、「これが普通」って思っていたけど、実はその情報に関心がなかっただけ、知る機会がなかっただけということって、結構ありそうですよね。
中には、知らなかったら感じなかった不幸というのもありそうですね。
例えば、映画/ドラマの人気作『スノーピアサー』に出てくる最下層の人達に支給されるプロテインバーの原材料が、実はゴキ◯リだった・・・みたいな、ね。
映画『オールド・ボーイ』もその類ですよね。
こういうの、映画/ドラマの脚本には使われていますね。
知る/知らないという情報で言えば、求人広告について、リクルートという会社が募集要項(給与などの条件)を公にしたわけですが、それ以前は違いました。
つまり、あの会社に務めるお隣さんがいくら位もらっているのか?は、謎だったのです。
ところがリクルートがそうした情報を公にしたことで、「あの会社に務めているお隣さんの収入はだいたいこれくらいだろう」と分かり、自分たちと比べて優越感に浸ったり、嫉妬したりできる社内になったわけです。
そうした条件が白日にさらされた結果、給与含めた諸条件に「相場」というものができました。
世の中の色んなこと、知る方が幸せなのでしょうか?
それとも、知らない方が良いのでしょうか?
映画『マトリックス』は、我々が生きている世界がもしかしたら仮想世界なのかもしれない!?…と疑いを持たせた作品でした。
これ、否定できないから恐ろしいですね。
作中、ひょんなことから真実を知ってしまった人で、仮想世界に戻る選択をした人が出てきます。
知った真実がその人にとってあまりに残酷な場合、「知らなければ良かった」となるのかもしれません。
若い頃、「余命宣告された方がいいか?してほしくないか?」と、そんな話をしていました。
真実を知りたいか、否かってことですが、人生の折り返しを迎える頃になると、この手の話題はすごいリアリティを増してきて、触れたくありませんね(汗)
皆さん、知りたがりでしょうか?
自分が幸せになれる情報だけ取捨していけると、良いかもしれませんよね。
そう言えば・・・
起業する前、20歳半ばの頃、20万前半のお給料でデザイナーとして働いていました。もちろん!?残業代もありません。
同い年の同僚(営業)を誘って起業したのですが、彼がその当時僕の数倍の給与をもらっていたことをその数年後に知りました・・・
ハードワークしまくっていた僕は、黒目がめくれ上がってきて、眼科医に「このままだと失明するよ」と言われるほど仕事していたんですけどね(苦笑)
真実を知った僕は、「えー、その会社、そこまで払えるお金あったのかいッ!すごいな」って驚きました(笑)
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。