マイ努力

ストレスなく、負荷なく、
無理なく、続けられること。
人はそれを努力とは言わない。
たとえば毎日、歯磨きをする。
スーツに着替える。風呂に入る。
それを努力と呼ぶ人は少ないだろう。

人が努力と認めるのは、
通常ではとても継続できない大変なことだ。
たとえば毎月300冊本を読むとか。
腕立て伏せを毎日300回やるとか。
朝から晩まで営業電話をかけ続けるとか。

普通の人には到底できないこと。
それを超人的に黙々とやり続ける人。
そういう人を私たちは「努力の人」と呼ぶ。
小学生なのに朝から晩まで勉強し続ける子供。
寸暇を惜しんでサッカーやスケートの練習を続ける子供。
そういう存在を見て私たちは頭が下がる。
なぜなら自分たちには、絶対に出来ないことだから。

普通の人ができないことを、
当然のようにやり続ける人。
それを努力の人と呼んではいけない。
なぜなら、そう定義した瞬間に、
努力は自分とはかけ離れたものになってしまうから。

多くの人は「到底続けられないことを続ける」ことを
努力と定義している。
その結果、多くの人は努力ができない人になっていく。
当然といえば、当然の帰結なのである。
人は努力をしなければ、何も得ることができない。
これは事実である。
問題なのは、何を努力と定義するかだ。

到底できないことを努力と定義すると、
結果的に人は何も得ることができなくなる。
人生において目標とする成果を得たいのなら、
まずやるべきは努力の定義を変えることだ。
簡単に続けられること。
それこそが正しい努力の定義だ。

なぜライザップは結果にコミットすることができるのか。
それは彼らが真似のできない
努力をしているからではない。
努力が簡単なビジネスをやっているからである。
指定された運動をして、指定された食べ物だけを食べる。
これで痩せない方がおかしい。

誤解しないでいただきたいのだが、
楽なのはライザップの客ではない。
楽なのはトレーナーだ。
顧客に運動と食事の指示を出す。
指示通りに行動すれば顧客は痩せる。
コミットすることは簡単だ。

これを自分にも応用させなくてはならない。
できるだけ簡単に、できるだけストレスなく、
できるだけ短時間で、やれる努力。
努力と呼ぶことすらおこがましい努力。
それこそが見つけるべき「マイ努力」なのである。
正しいマイ努力は、続けることに負荷がかからない。
だからこそ続けられる。
そして続けるから結果に結びつく。

 


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