私(安田佳生)が終わりを意識し始めたのは、まさに終わった時。すなわち会社が潰れた時です。終わると思っていなかったことが終わる。そのとき痛感したのは「終わりを想定していなかった愚かさ」です。会社にも、人生にも、あらゆるものに終わりはあります。終わることが問題なのではなく、自覚がないままに終わっていくことが問題なのです。この対談は、ご葬儀というまさに「人生の終わり」を仕事にしている鈴木社長に、私の率直な疑問をぶつけたものです。社長の終わり、社員の終わり、夫婦や友達の終わり、そして人生の終わりについて。終わりから考えた二人の対談をぜひご一読ください。
『生きるとは死ぬこと』
 
 
重たいね、これ(笑)
 
 
 
 
何でまた(笑)
 
生きてさえいれば絶対にできると思ったんです。若さゆえの根拠のない自信ですね。もうすでに50過ぎちゃったんですけど(笑)
 
 
いま57になったんですけど。今でも「60で死ぬ」とか、「65で死ぬ」とか、常にそうやって決めながら生きてるんです。
 
やっぱ変わってますよ(笑)
 
こういう話すると「そう言ってる人ほど長生きする」とか「安田さんは長生きしますよ」とか、言われるんです。
 
 
 
普通そう言うでしょう(笑)
 
いや、そんな話をしてるんじゃないよと。「あと3年で死ぬとしても、本当にこれをやるのか」ってことをまじめに考えながら生きたいだけ。
 
まじめに?
 
だって「いつ死ぬか」なんて分からないじゃないですか。
 
 
 
 
 
でしょうね(笑)
 
だけどこれが200歳になると、きっと「厚かましい」って言われるんですよ。でも冷静に考えたら「他人が平均何年生きる」とか、なんの関係もないじゃないですか。
 
ないですね。
 
病気もあるし、事故もあるし、いろんな死に方があるわけで。運命ですからね。死なない努力はできても、絶対死なないなんてことはできないわけですよ。
 
よくわかります。100パーセント確かなのは必ず死ぬってことだけ。
 
そうですよ。
 
決まってるのはこれだけなんです。生まれた以上、絶対に死ぬ。
 
 
ずっと続くかのように生きてる人、多いですもんね。
 
そうなんですよ。で、死ぬ間際になって「もうちょっと、ああいうことをやっておいたらよかった」みたいな。
 
 
もしその人があと3年生き延びたとしても、きっとやらないと思います。
 
 
いま私は3年単位で人生設計を考えてまして。10年後とか、生きてるかどうかわからないって、本当にそう思ってるんですよ。
 
 
 
3年で終わっちゃいますよね。
 
1年生き延びたら、またそこから3年に変更して考えるんです。
 
なるほど。
 
多くの人は30年ぐらいから逆算して考えるから、選択を間違えちゃうのかなって。
 
 
 
 
 
 
 
 
考えたくないんですけど、考えたほうがよくないかなって思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
人間って「100」が生きてる状態で「0」が死んでるとしたら、「突然0になる」ってみんな思ってるんですけど。私はそう思ってないんですよ。
 
 
 
 
根っこはぜんぶ一緒です。
 
 
まさにそうなんですよ。
 
ああ、なるほど。
 
 
 
 
そうですね(笑)
 
 
 
たとえば片足が腐っていってるのに「いや、俺はまだまだ元気だ」とか言ってると滑稽じゃないですか。
 
 
 
 
 
僕は、ああいうのは、ちょっと否定的なんです。
 
 
 
 
 
だけど白髪を染めたりはしませんね。面倒くさいってのもあるんですけど。白髪ってどういうふうに増えていくのか、ちゃんとこの目で見て老けていきたいんです。
 
なるほど。
 
白髪って髪の毛が死んでるみたいなものなので。「人がちょっとずつ死んでいく」のが実感できるじゃないですか。
 
死んでいってるんですかね、白髪って(笑)
 
どうなんでしょう(笑)私のイメージですね。人間の細胞って7年でぜんぶ入れ替わると言われてまして。
 
そうですね。我々も、もう何回目かのコピーですね。
 
おっしゃる通り。でもコピー機能もだんだん劣化していってるので。だんだんオリジナルを再現できなくなってくる。
 
それが老化なんでしょうね。
 
はい。気持ちが若いのはいいことだと思うんです。だけど劣化した自分を受け止めずに死んでいくのは嫌なんですよ。
 
ありのままの自分というのを受け入れる必要があると思う。だけどあらがうことは必要ないような気がして。ただ「あきらめる」と「あらがう」はちがうと思ってるので。
 
あきらめるわけじゃないですよね。
 
そう。僕もあきらめるわけじゃないんだけど、「それ、無駄な抵抗じゃね?」みたいな。ちょっとニュアンスが分かりづらいと思うんですけど。
 
多くの人は「生きてる」のは「死んでる」の反対だと思ってる。
 
ですね。
 
つまり、死んでなかったら生きてるってことですよね。呼吸してる状態が「生きてる」と思ってる。
 
医学的にはそうですね。
 
私は「生きてる」ってそういうことじゃないと思ってて。生きてるとはなんぞや?ってちゃんと真剣に考えたいんですよ。生きてる期間って短いですし。
 
短いといえば短いかな。
 
「今日生きた」ってことは、今日の自分は「死んだ」ってこと。こうやって鈴木社長とのお話している間にも、私がちょっとずつ死んでいくわけですよ(笑)
 
すみません。対談に誘っちゃって(笑)
 
いえいえ。頼まれたからやってるわけじゃなく、「この仕事をやる」って自分で決めてやってますので。
 
われわれの世代でそこまで考えてる人いるのかな。
 
みんなのほほんと生きすぎじゃないかと思う。20歳ぐらいだったらわかりますけど、「50過ぎたら、毎日死んでいくのを自覚しながら生きようよ」と言いたい。
 
そして、やることを選択していかなあかんですよね。
 
そうですよ。50過ぎて金儲けばかりやってる場合じゃない。この年になったら欲しいものとか、これにお金を使いたいとか、なくなってくるじゃないですか。
 
すごくおいしいものばかりを食べたいわけでもないし。
 
毎日、高級寿司食べてもしょうがないわけで。
 
しょうがない(笑)
 
でも多くの人は「なぜ働くのか」という質問に、「生きていくため」「生活のため」って答えるわけです。命そのものである時間を削ってお金のために働いてる。
 
「いい人生だった」って思いながら死んでいきたいと、みなさん考えてると思うんですけど。
 
そのはずなんですけどね。
 
「いい生き方ってなんやろう?」って。
 
いい生き方は、死から逆算しないと出てこないと、私は思います。
 
いい死に方ってことですね。
 
はい。いい死に方。
 
たとえば葬式でも「この人はたくさん人来るやろうな」と思ってる人が、ぜんぜん人が来なかったり。
 
私は自分の葬式に、人がたくさん来てほしいという欲求はないです。
 
でも、それは来る人が決めることなので。安田さんが亡くなったときに行きたいと思う人は何人もいると思いますよ。
 
そうだといいですね(笑)
 
お悔やみしたいとか、最後のお別れをしたいという人はいます。それは止められないです。本人にも。
 
だったら「生きてるうちに会いに来い」って言いたい(笑)
全4回をご覧いただきありがとうございました!
これまでの対談はこちら↓
対談相手:鈴木 哲馬
株式会社濃飛葬祭(本社:岐阜県美濃加茂市)代表取締役
昭和58年創業。現在は7つの自社式場を運営。


 
			
						
		













