名もなき会社の
名もなき従業員をわたくしはやっておりますが、
そんな者でもたまに 人事評価 なるものを受ける機会がございます。
なにを評価するのか、
そもそも評価する部分がある人間なのかなどといえばそれまでですが、
とにかくジンジを評価するので
書面を作ったり、誰かとしゃべったりなんだのする一連の手続きがあるようです。
このあたり、
大手や先端の企業様ではきっとイケてるHRを展開されていることでしょうが、
わが社はTEZUKURIのエクセルシートで人事労務を遂行しております。
いやなに、隣の芝生はエバーグリーン、そう見えているだけで、
おのれの環境がさえないことに変わりはなくても
似たような他社では似たような茶番(言ってしまった)が
くり返されているに違いありません。そう思いたい。
そんなレベルの話ではありますが、
冷静に考えてみて、誰かを評価するとか、
仕事のごく一部にしてはずいぶん難しい作業をさらっと持ちこんだものです。
どれくらいの価値を生む価値がある人なのか、
それが読める能力があればそれこそがすごい能力ですけど。
とはいえ、同じ職場やグループに属している人間同士であれば
その能力や人となりを理解する機会は豊富です。
日常の仕事を通して誰かを評価する、という行為は
実にもっともそうでありますが、
では、その評価の妥当性を裏付けるものは何でしょうか。
評価が評価する側の主観や感情に左右されていないか。
あるいは評価する側に十分な能力があるのか。
正直、そんなことが証明できるはずがないのです。
結論をいってしまうと、
ふつうに人事評価をしたければ、
業務の中にテストを紛れ込ませてしまえばいいのだと思います。
当人に伝えずにダミーの小さい目標を用意し、
能力を測るためのワークを行なって、事前に決めた基準で採点する。
それで、「人を評価する」目的の、かなり近いところに着地できるはずです。
フィードバックがしたければ、当事者間で後から感想戦を行なえばいいのです。