その90 白髪

「グレイヘア」という概念をご存知でしょうか。
世間ではある程度の年代以降の女性は
ほぼ全員といっていいほどの割合で染髪をしていますが、
それをやめて、ポジティブな感覚で白髪を受け入れつつ自分のスタイルの中に
取り込んでいくという発想を指すのだそうです。

(まず、なにもかも個人によるという前置きをしたうえで申し上げます……)

もともと、染髪を完全にやめるのは
生活上もうそれが負担になるという状況になるなど、
それなりの年齢になってからのことが多いように見受けられることからして、
逆にいえば染髪を行うのはかなりの長期間にわたって
「ふつう行わなくてはいけないこと」
として在るのだということです。

グレイヘア自体へ是非を申し上げるつもりは
そもそも口を出す側でないのを抜きにしてもないのですが、
髪色を「変えてはいけない」というルールならまだしも
「変えなくてはいけない」という雰囲気は、
大げさにいえば社会の常識という名の圧力と感じられる方もおられるでしょうし、
だからこそファッションというより問題提起として成立しているのでしょう。

しかし、社会においては自分もそのピースのひとつです。
自分が生きている社会の平均的価値観とされるものが
自分にとってまったくの異物であることはまれでしょうし、
とくに、染髪であれば自分に行動の決定権があることなので
どこかに
「いうても生えちまった白髪をそのままにはしておけんやろ」
という前提がある場合が多いのではないでしょうか。

まだ自分は白髪をそのままにはできない、というのは
いうまでもなく「若さ」を頂点とする価値観です。
毛髪の老化現象を放置しておくことは、その価値観からすると
自分の価値を低くてもいいと自認することにもつながるのでできませんが、
そうであってもより白髪にはなり、増えていくものです。

どんな形であれ、老いの兆候があらわれてから
最初にそれに気づいてしまった瞬間にはじまり、
場合によっては一生涯、「若さ」を頂点とした価値観と
そうではなくなっていく自分のギャップに苦しむのは、
それが社会に押しつけられるからではなく
その価値観が自分の人生の経歴と重なってきたからです。

生まれてから現在にいたるまで、
誰もが成長すれば褒められ、成人すれば人として認められ、
自分が美しくりっぱになったと自覚し、
あるときは中高年や老いた人間を見て嗤ったこともあったはずです。
(これは、ほぼ、例外なく)

アンチ・エイジングに励んだとしてもそれから逃れることはできません。
なぜなら、生きているだけで起こる、社会的存在としての価値低下は、
社会ではなく自分が査定している結果だからです。

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

リーマン20年のキャリアを3ヶ月分に集約し、フツーだけど濃度はまあまあすごいエッセンスをご提供するカリキュラム、「グッドゴーイング」を制作中です。

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