第19回「旅行ビジネスの未来マーケットを考える その1」

このコラムについて
世の中の情報は99%が「現在」または「過去」のものでしょう。たった1%の未来情報をつかめる人だけが、自分のキャリアやビジネスを輝かせるのです。でも、未来情報なんか手に入らないよ!と思ったアナタ。ご安心を。もしアナタが古い体質の会社に勤めているなら超ラッキー。そんな会社の経営者ならビジネスがハネるかも。

未来コンパスが、あなたの知らない未来を指し示します。

 19  旅行ビジネスの未来マーケットを考える その1

Go-Toトラベルキャンペーンの対象に東京都も含まれましたね。
今回は、思い出を振り返りつつ、3週にわたって旅行ビジネスの権利の空き地を探します。
コンセプトの切り取り方は人それぞれ。皆さんも一緒に探してみませんか。

■未来コンパスが指すミライ

次の表は「旅行ツアーの手配」の役務をカバーし、かつ、「ツアー」の文字を含む商標の一部を整理したものです。
(↓クリックやピンチアウト拡大しご覧ください。)

私は、親父とキャッチボールをした記憶がありません。

ウチの家は喫茶店で、土曜も日曜も営業していました。
お盆も正月も営業していました。
休みの日も仕込みと買い出しをしていました。

本当に仕事ばかりしていたのでしょう。
サンドイッチを作っている父や配達をしている母ばかりが思い出されます。
両親とは遊んだ記憶も、旅行に行った記憶もありません。

私の面倒をみてくれたのは、おばあちゃんです。

おばあちゃんはお菓子屋さんでした。
戦後 下北沢の闇市で商売をはじめ、すぐに頭角をあらわします。
おばあちゃんは商才のある人でした。
駄菓子にまんじゅう、金太郎飴にクリスマスケーキ。
売れるものは何でも売りました。
300円のお菓子に対して50円のオマケをつけ、遠足に行く小学生の8~9割が買いに来たと言います。道の向かいに別の駄菓子屋があるのにです。

マーケティングをする おばあちゃんでもありました。
「どんなお菓子が流行っているの?」
「う~ん、やっぱりビックリマンかな」
翌週には平積みされていました。

そんな おばあちゃんがお店を畳んだのが1990年。72歳のことです。
古くなった建物の建て替えを機に畳むことになったのですが、
気力も体力も実力もある おばあちゃんにとっては早すぎる現役引退。
悔しい気持ちもあったでしょう。

その反面、私との時間が増えるきっかけになりました。
翌年、おばあちゃん、おじいちゃん、兄、私の4人で「旅行」をすることになります。

私の趣味を形づくる、きっかけとなる旅行でした。
数少ない子供の頃の思い出です。

(つづく)

 


 この記事を書いた人  

八重田 貴司(やえだ たかし)

外資系企業/法務・知財管掌。弁理士。
会社での業務とは別に、中小・ベンチャー企業への知財サポートをライフワークとする。クライアント企業が気づいていない知的財産を最大化させ、上場時の株価を上げたり、高値で会社売却M&Aをしたりと言った”知財を使って会社を跳ねさせること”を目指す。
仕事としても個人としても新しいビジネスに興味があり、尖ったビジネスモデルを見聞きするのが好き。

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