コミュ障経営者のギモン その17「仮面ライダーが教えてくれたこと」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

仮面ライダーが教えてくれたこと

弊社のスタッフで仮面ライダーが好きな男性がいるんです。
リモート勤務の朝礼のときに、仮面ライダーのおもちゃを自慢されました・・・(←勤務中の話です)
どうやら、子供の頃に観てて、そのまま大人になってもファンって類いらしいですね。

気になって調べてみると、1971年に第1作『仮面ライダー』が放映されたそうです。
Wikiによれば、第1作の『仮面ライダー』の放送期間は1971年4月3日から1973年2月10日とのことで、僕が子供の頃に観ていた仮面ライダーは再放送だったということがわかりました。
でも、当時、たくさんの子どもが仮面ライダーの頭が付いた自転車に乗ってましたよね。
今考えるバッタをモチーフにしたヒーローの首がついてるっていう、不気味な自転車ですが・・・

冒頭でご紹介した弊社の仮面ライダーファンに、仮面ライダーの話をふると、仕事中には見せたことがない生き生きとした表情で饒舌に語りはじめるんですよね。(←勤務中の話です)
しかも仮面ライダーって一口に言っても、実はシリーズ数もめちゃくちゃ多く、凄まじい数のライダーがいるんです。
下手に質問したら、永遠に彼の話は終わりませんよ。それくらい多いです。
仮面ライダーと聞いて「バッタ」を思い浮かべる僕ら昭和世代からすると驚きの見た目をしてる仮面ライダーもいますから。

時代に応じて仮面ライダーも変わっているわけです。
約50年も続いているそうですから。
実際、第1作を観て育った僕の子どもが、最新作の『仮面ライダーゼロワン』ってのを観てますからね。
すごい長寿シリーズですよ。
とは言え、様々な理由からシリーズが中断、休止することもあったようです。
例えば、1989年に終了した『仮面ライダーBLACK RX』の後は10年ほど空白期間があったりね。

『仮面ライダーBLACK RX』終了から10年以上を経て復活したのが、平成ライダーシリーズ第1作の『仮面ライダークウガ』だそうです。
平成ライダーは、昭和ライダーと比べると、色使いがちょっと派手になりますが、この辺は小道具制作や素材の進歩を感じますね。
そのため、フォームチェンジという衣装替え・・・いや、仮面ライダー能力の選択が可能になっています。
一人のライダーが色んな能力を持っているって、昭和ライダーから大きな進歩ですよね。
また、16:9のサイズが採用されるなど、10年という視聴環境の変化も感じます。

平成ライダー第2作目『仮面ライダーアギト』では、俳優の要潤さんなんかが出てて、イケメン路線に手応えを感じ始めます。
そして、複数の主役級ライダーが登場するなど初の試みがみられます。

第3作『仮面ライダー龍騎』、僕は衝撃を受けることになります。
バッタはどこいった!?昆虫は?と戸惑いを隠せないデザイン(汗)
鉄仮面とスニーカーがモチーフだそうで、もはや生物ですらない・・・(滝汗)
この『龍騎』、見た目の衝撃に比例した衝撃的な内容となっています。
まず、前作の『アギト』で味をしめたのか、今作では13人もライダーが登場し、さらに悪のライダーも出てきます。カオスです。
そして、当時流行っていた『遊☆戯☆王』に乗っかってカードバトルを採用します。
さらにさらに、「戦いを続ける」か「戦いを止める」を視聴者に選ばせて、ドラマの結末を変えるという実験的な試みもしています。
そして、最終回を待たずに主人公が死にます・・・
主人公を殺した結果!?、玩具売上も当時の記録となるような数字を叩き出します。
もう昭和ライダー世代からしたら、衝撃の連続です。

第4作は『仮面ライダー555』、555は「ゴーゴーゴー」「スリーファイブ」ではなく、「ファイズ」と発音するらしいです。
前作が衝撃的過ぎて、大人しく感じてしまう。
ただ、変身ベルトに携帯電話をモチーフとしたものが加えられるなど、時代を感じます。
そして、この作品ではベルトだけでは変身できない設定が追加されることとなり、おもちゃのベルトも大ヒット。
ちなみにこの時期、携帯電話にはカメラが搭載され、各社画素数にこだわり始めた頃です。(メガピクセルケータイとか言ってた時代)

第5作は『仮面ライダー剣』、剣をブレイドと読ませるカッコいいやつ。
ところがモチーフがトランプ・・・平成ライダーの何でも有りの中、初期設定の「バッタ」とかドンドンと軽視されていきます。
そして、仮面ライダーを「職業」とするというめちゃくちゃ現実的な設定が加えられます(汗)

第6作「仮面ライダー響鬼」はなんと和風テイストあふれるデザイン。
そして、今までのライダーの改造人間という設定も捨て去り・・・なんと、鬼(汗)
必殺技(武器)は太鼓です・・・
が、太鼓は子供の憧れにならずに玩具はあんまり売れなかったとのこと。

このように、平成ライダーをちょろっと紹介しただけでこの有様・・・
カオスでございます。
まだまだ個性的なビジュアルと驚愕の設定を持ったライダーがたくさんいます。

歴代ライダーを呼び寄せる能力持ってる仮面ライダーが出てきたり・・・
→最強ちゃうん!?

二人の主人公が変身して一人の仮面ライダーになったり・・・
→ドラゴ◯ボールのフュージョン的な!?

変身ベルトに人格があったり・・・
→ベルトの声はクリス・ペプラー。

三頭身になったり、仮面ライダーの面影ゼロのやつがいたり・・・
→ライダー史上、最もライダーから遠い見た目。

電車をモチーフにしてみたり・・・
→「バッタ」「改造人間」という制約からの解放で何でも有りに。

めちゃくちゃ試行錯誤してる様子がわかりますよね?
色んな前提をぶち壊して、文字通りスクラップ・アンド・ビルドを繰り返してきている。
僕はそれを知って、50年という長きに渡って愛され続ける理由がわかったんです。
生き残ってますよね。
で、思い出したんです。
ダーウィンが言ったとされる・・・

最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるのでもない。
唯一生き残るのは、変化できる者である。

・・・って言葉を。
ビジネスでもお馴染みの言葉ですよね。

これを地で行く仮面ライダーシリーズ、侮れないな、って。
そんなことを考えて、仮面ライダーのことを調べながらこの記事を書いてるわけです。(←勤務中の話です)

ちなみに、僕が好きなライダーは昭和ライダーの『仮面ライダーアマゾン』です。
昭和ライダーの中でも異彩を放つデザインで子どもながらに惹かれたのを覚えています。
ちなみにアマゾンのモチーフはマダラオオトカゲだそうで、昭和ライダーの中でバッタでも無ければ昆虫でもなく、まさかの爬虫類という規格外なやつです。
ちなみに、全24話というシリーズ中最短で終了したというのも異質。(打ち切りとかではなく、最初から決まってたみたいですね)

皆さんはどのライダーが好きですか?

(↑ここまですべて勤務中に書いてます↑)

 

著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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